本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『戦争と読書 水木しげる出征前手記』水木しげる / 荒俣 宏 著

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戦争と読書 水木しげる出征前手記
水木しげる / 荒俣 宏 著
KADOKAWA(角川新書)、864円

 去年11月に逝去した漫画家水木しげる氏は『ゲゲゲの鬼太郎』など妖怪マンガの大家としておなじみだが、一方『総員玉砕せよ!』などで先の大戦での自分の従軍体験を描き続けた。水木氏は21歳で徴兵されて南方ニューギニアラバウルの激戦地で左腕を失っていた。

 この本は、最近見つかった水木氏の出征前の手記を採録、それを水木氏の第一の弟子、作家の荒俣宏氏が、水木氏と同じ年代で戦地に送られた青年の心情や当時の世相を交えて解説している。

 手記は太平洋戦争開戦の翌年、昭和17(1942)年10月、武良茂(水木氏の本名)20歳が、徴兵審査をうけたあと召集令状がいつ届くかという状況で、死地に向かうであろう己の心情を吐露するものだ。18歳のころから読書に没頭してさまざまな哲学書や小説を読み、とくにドイツの文豪ゲーテの言葉をつづった詩人エッカーマンゲーテとの対話』を座右の書としていた。読書によって自己に目覚め、心のなかは生きるための思想に浸りながら、国や世間からは死ぬことを要求される。軍国日本でまさに自分が死ななければならないのか、と懊悩。ゲーテほかニーチェやキリスト、漱石の言葉を思う。

「こんなところで自己にとどまるのは死よりつらい。だから一切を捨てゝ時代になってしまうことだ。」

 だが茂は出征のとき『ゲーテとの対話』を持って行った。

 荒俣氏によると、昭和のはじめは出版ブームで、東西の教養書や学術書が発行されて若者に影響を与えた。武良茂と同年代の出征した青年の多くは同じような思いを抱き、死に直面して悩む文章を書き残している。出版物が制限された戦争中、人々は「読むこと」に飢えた。

 人の心が、読書で得た自己の自由な思考と社会の抑圧的な要求との間で引き裂かれる。こんな悲痛なことは起こってほしくない。

(掲載:『望星』2016年2月号、東海教育研究所 を訂正)

 

『“ひとり出版社”という働きかた』 西山雅子 編

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“ひとり出版社”という働きかた
西山雅子 編
河出書房新社、1,836円

 本屋に行っても読みたい本がない、つまらない、とお嘆きの方もいるかもしれない。本の売り上げが落ちているなか、出版社は、確実によりたくさんの人に売れる企画を取り上げて本を作らざるを得ない。また、本は人に渡っていくのに手間のかかる情報媒体だ。情報媒体なのと同時に商品なので、まず市場に出て小売店である書店の売り場にならばなければならない。ところが書店も限られた売り場には確実によりたくさんの人に売れる本をならべたい。だが、売れる本がいくつもならんだ書店の棚は個性に欠けるかもしれない。そんな本は手に取ってみても買う気が起こるほど惹きつけられないかもしれない。

 そういった流れから外れて、自分がおもしろいと信じる企画から本をつくるために、ひとりかわずかな人数で本を出版し書店に売り込む出版社が読者を獲得しつつある。この本はその“ひとり出版社”の本のつくり手たちのそれぞれの本にのせる思いを語る。小さい書房、土曜社、里山社、港の人、ミシマ社、赤々社、サウダージ・ブックス、ゆめある舎、ミルブックス、タバブックス、夏葉社、沖縄の小さな出版社の本を売る、市場の古本屋ウララ、絵本専門書店とギャラリーでさらに出版もするトムズボックスほか。
 
 名前だけでも個性的な会社でひとり奮闘する人々。テレビ局にいた人、広告代理店にいた人、文化人類学者を志していた人も。大人むけの絵本、亡くなった作家の埋もれていた名作の復刻、「売れない」と言われる詩歌の本などを、読む人がいることを信じて、少ない部数を発行し小出版社の本を扱う取次や書店に託す。

 作者の小さな声を拾って遠くまで届く本。大勢ではなくひとりひとりの読者へ。本は本来、個と個をつなぐ自由な情報媒体であることを、このつくり手たちは思い出させてくれる。

(掲載:『望星』2016年1月号、東海教育研究所)

『声』アーナルデュル・インドリダソン 著 / 柳沢由美子 訳

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アーナルデュル・インドリダソン 著
柳沢由美子 訳

東京創元社
2,052円


 アイスランドの作家アーナルデュル・インドリダソンのレイキャヴィーク警察犯罪捜査官エーレンデュル・シリーズ邦訳第3作。未訳の作品を含めると第5作めになる。犯罪ミステリ小説というより、孤独な人々の家族小説だ。

 クリスマスのレイキャヴィーク。外国からの観光客で満室の一流ホテルに刺殺死体。死んだのはドアマンのグドロイグル。ショーのためにサンタクロースの格好をして、長年住んでいたホテルの地下室で発見された。エーレンデュルたちは捜査をはじめるが、従業員のだれもグドロイグルのひととなりを知らなかった。

 だがホテルに滞在しているレコード蒐集家から、グドロイグルが少年時代の短い間、奇跡の声と言われたボーイソプラノの歌手だったと聞いた。グドロイグルの遺族、父と姉がよばれたが、なにも悲しみもせず面倒事のように憮然としていた。ただ、グドロイグルが歌手をやめたのは変声期を迎えたため奇跡の声が失われボーイソプラノ歌手として使いものにならなくなったため、とだけ語った。

 その後、グドロイグルの故郷で調べたところ、彼の過去が解き明かされた。父親がグドロイグルを有名な歌手にすることを夢見て厳しく扱っていたこと、子どもスターというせいで学校で酷くいじめられていたこと、はじめての大きなコンサートで、歌いだしたとたんに無惨に声変わりしたこと、夢が叶えられなくなった父親と決裂したこと……。

 この物語のテーマは「子どもの傷」だ。エーレンデュル自身の子どものころ、吹雪の山でいっしょにいた弟を失った傷。エーレンデュルの娘エヴァ=リンドの、父エーレンデュルが母と離婚後、自分と会おうとしなかったという傷。父と娘は互いの傷をもっと知ろうとする。

 時間はどんな傷も癒しはしない。ただ、傷の痛みをともに感じ、共有してくれる人がいることだけが救いになる。

(掲載:『望星』2015年10月号、東海教育研究所に加筆訂正)

『凍える墓』ハンナ・ケント 著 / 加藤陽子 訳

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凍える墓
ハンナ・ケント 著
加藤陽子
集英社集英社文庫
1,015円

 「幸福な国」と知られているアイスランド。男女平等指数は世界第1位だ。

 この本は1830年アイスランドで最後に死刑となったひとり、アグネス・マグノスドウティルという女性の記録を、オーストラリアの作家ハンナ・ケントが丹念にたどり、物語にしたものだ。

 デンマークの統治下のアイスランド北西部。地味に乏しい土地で人々は牧畜を営んでいる。背の低い灌木しか生えていない地では木材は贅沢品なので、家は芝土で作られている。壁は崩れ落ちやすく人々は土ぼこりで肺を蝕む。燃料は家畜の糞。貧しい人々が農場を渡り歩いて使用人をしていた時代。

 短い夏が始まる6月、行政官ヨウンの農場に死刑囚アグネスが運ばれてきた。北にある農場の使用人だったアグネスは、もうひとりの使用人の少女と近所の少年とで共謀し農場主ナタンとその友人を惨殺したという。県の行政長官はヨウンに、刑務所がないので刑の執行まで彼女の身柄を管理するよう命じたのだ。殺人犯を家に置くことに怖気をなすヨウンの妻マルグレット。

一方、若い牧師補トウティは行政長官から、アグネスが自分の教誨師にトウティを名指ししたので刑の執行までに彼女を悔い改めさせるように、と要請される。アグネスに会った覚えのないトウティは、未熟な自分が殺人犯に何かできるのか、と不安をつのらせる。

 アグネスは絶望のなか半生を振り返っていた。そしてマルグレットとトウティに自分のことを少しずつ語り始める。マルグレットとトウティはアグネスの打ち明け話を聞くうちに、心を寄せていく。

 庶子として生まれ、幼いころからあちこちの農場で働いてきたアグネス。当時の女性の幸せは農場主と結婚し農場の女主人になることだけ。医術にたけ外国へ行ったこともあるという謎めいた男ナタンに惹かれ、幸せを夢見た。

 小さく閉じた世界で、もがき、切り裂かれた女性。誰かの妻でなければ魔女とされた時代だった。だが今は違う、とは言い切れまい。

(掲載:『望星』2015年6月号、東海教育研究所に加筆、訂正)

『海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録』平野義昌 著

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海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録
平野義昌 著
苦楽堂
 2,052円

 2013年9月30日、神戸市にある老舗書店、海文堂書店が閉店した。99年間、地元で信頼され愛された。地元の同人誌や古書店も応援していた。全国にも海事専門書が豊富にあることで知られていた。人々が集まる大きな樹のような本屋さんだったのだ。閉店までの数日、別れを惜しむたくさんの人が押し寄せた。

 著者は他の書店を経て2003年に海文堂に入社、閉店まで人文社会の本の担当として働いた。海文堂の歴史をつくった社長や店長たち、いっしょに働いた仲間たち、通ってくれたお客さんたちを語る。だが「愛された本屋さんのいい話」で終わらずに、海文堂への強い愛着とその閉店への深い嘆きを吐露している。

 海事専門書の出版社と販売店としてスタートした海文堂。書店社長が島田誠氏の代には児童書ほか一般書の拡充、美術ギャラリーの併設、書店PR誌や郷土誌の発行、地元文学同人誌関係の本など、神戸の文化発信の場として活動を広げていった。1995年1月17日の阪神淡路大震災でも幸い店舗の被害が小さかったため、25日には再オープンし被災者の心を支えた。しかし震災が古くからつづく神戸の街のにぎわいに与えた打撃は、海文堂をも長く蝕んだ。

 店員は書店の本を熟知しており本を探すお客さんをすぐに案内できた。また出版取次の販売情報に頼らず、それぞれの分野の本の担当が工夫して独自の棚づくりに努めた。長年の顧客も多く、小さいころから通った人も、よその書店で見かけた本を海文堂で購入する人もいた。

 なので閉店を知ったお客さんの悲しみは大きかった。

「これからどこで買え、言うねん!」

 著者をはじめ店員はもっと深い悲しみと嘆きに沈んだ。

 大きな樹が倒れると根が枯れて地盤が弱くなる。街から本屋さんがなくなることも同じ。街の本屋が閉店すると人々は近所で本に出会う場がなくなりつつあることにはじめて気づくのだ。

掲載:『望星』2015年11月号(東海教育研究所)に加筆

『本屋会議』本屋会議編集部 編

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本屋会議
本屋会議編集部 編
夏葉社
 1,836円
 
 本は米や魚や肉や薬と違って生活必需品ではない。確かに本が好きで読むことが好きで、本がないと死んでしまう、と言う人はいる。だが常に少数派だ。教科書や参考書のような勉強道具としての本を除くと、多くの人にとって本は暇なときの愉しみの道具だ。別の愉しみがあれば本がなくてもかまわない。今のような、趣味やファッションの情報は雑誌で見るのではなくインターネットで見る時代では。

 町の本屋さん、つまり商店街にある小規模な書店が、日本中でどんどんつぶれている。書店のない地域もある。

 この本『本屋会議』は、2013年に『本屋図鑑』を作った出版社の夏葉社代表、島田潤一郎氏と編集者でライターの空犬太郎氏、そして東京の往来堂書店店長の笈入建志氏が書いた。

 2014年の1月、島田氏と笈入氏を発起人として、「町には本屋さんが必要です会議」という公開会議がはじまった。全国の本屋さんを主な舞台にさまざまな書店員さんをゲストに招いて「本屋さんのいま」について話し合われた。これまで売れていたものが売れなくなっている。特に雑誌。雑誌を立ち読みする子どもたちがいなくなった。代わりに、子どもたちはスマホや携帯を見ている。

 町に本屋さんが必要な理由はなんだろう。それは、子どもから、地元の本屋さんの本棚の前に立ち、どの本を手に入れようかな、と、わくわくする機会がなくなってしまう、ということ。島田氏いわく、「本屋さんを必要としている人は子どものころから本屋さんを必要としていたからこそ、本屋さんが必要であるともいえる。」町の本屋さんが地域で踏んばらねば、本も読者も消えてしまう。個性的な本屋さんでなくていい。ふつうの町の本屋さんが必要なのだ。

 最終章、本好き中学生が物置同然だった学校図書館を立て直した奮闘記に救われる。

(掲載:『望星』2015年8月号、東海教育研究所)

『私たちは〝99%〟だ ドキュメント ウォール街を占拠せよ』『オキュパイ! ガセット』編集部 編、『オキュパイ! ガセット』編集部 編  肥田 美佐子 訳 / 湯浅 誠 解説

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私たちは〝99%〟だ ドキュメント ウォール街を占拠せよ
『オキュパイ! ガセット』編集部 編 
肥田 美佐子 訳 / 湯浅 誠 解説
岩波書店 2,160円

 だれもが、幸せになりたい、と思っている。クビになる心配のない安定した給料がでる職場と、給料で充分確保できる居心地のいい住まいはもちろん必要だ。ほか、高すぎない学費、病気のときの援助、老後の支えなども欠かせない。だが、このなかのすべてを確実に得ることができる人がどれだけいるのか。

 アメリカには、経済的に恵まれない99%の人々と、資産が増加し続けている1%の富裕層がいるという。2011年の「ウォール街を占拠せよ」運動に参加した人々は「私たちは99%だ」と叫ぶ。この本は人々の訴えや運動の記録をまとめたものだ。彼らは民主主義と富の平等を求めてデモ行進を繰り返した。警官隊と衝突し負傷者もでた。だが運動はワシントンD・C、フィラデルフィア、シカゴ、シアトルなど全米各地の大都市にも広がっていった。言語学者ノーム・チョムスキー、映画監督マイケル・ムーア、哲学者スラヴォイ・ジジェクなど著名人も応援した。運動参加者はウォール街近くのズコッティ公園を本拠地として寝泊りし、そこでは公共のマナーを守るようにルールが作られ、清掃や洗濯も共同で行われた。本を持ち寄った野外図書館まで作られた。

 だが、人々は人種も職業も多様だった。ルールが破られることもあった。周辺の住民から騒音への苦情も相次いだ。しかし、Twitterによると小規模にはなったが現在も運動は続いているようだ。

 この本にスラヴォイ・ジジェクがこんな文をよせている。極端に不公平な社会ができたのは、社会のシステムそのものがとっくに自壊していたからだ、民主主義と資本主義の結婚は終焉を迎えた、かといって共産主義はとっくに破綻している、変革はなされうるのだ、と。

 このことは日本でも同じだ。未来を変えるために変革を。

(掲載:『望星』2013年2月号、東海教育研究所)