本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『シリアの秘密図書館 瓦礫から取り出した本で図書館を作った人々』 デルフィーヌ・ミヌーイ 著 / 藤田 真利子 訳

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シリアの秘密図書館
瓦礫から取り出した本で図書館を作った人々

デルフィーヌ・ミヌーイ 著
藤田 真利子 訳
東京創元社



 シリア内戦はまだ続いている。 ISの脅威は小さくなったものの、アサド大統領のシリア政府、ロシア、アメリカ、トルコ、クルド人勢力ほか、さまざまな軍事勢力の思惑が絡んで泥沼状態だ。
 中東問題を専門とするフランス人ジャーナリストの著者デルフィーヌ・ミヌーイはトルコに住んでいた。2015年、著者はFacebookでシリアの首都ダマスカス郊外の町ダラヤにある秘密図書館の画像を見つけた。シリア政府軍に包囲され爆撃をうけている反政府勢力の町ダラヤ。著者は図書館を作った人々のひとりアフマドとインターネットで連絡をとることができた。戦火のシリアに赴いての取材は不可能だった。著者はアフマドとインターネットを通して取材し、語りあった。

 アフマドはダラヤ生まれの23歳。フランス映画「アメリ」が大好き。2013年のある日、友人たちが本を掘り出すのを手伝ってくれ、と頼んできた。外国へ逃げた人の家で瓦礫の下に埋まっている蔵書を掘り起こすのだ、と。嘘とプロパガンダにまみれた本しか知らないアフマドには本などどうでもよかった。だが本を手に取って言葉を読むと心が震えた。紛争の日常から未知の世界へ逃げ出すような感覚。自由の震えだった、と彼は言った。掘り起こされた本は15000冊にもなった。ダラヤには公共図書館はなかった。アフマドたちは極秘に図書館を地下に作った。本にはもとの持ち主の名前が書き込まれた。持ち主が取り戻せるように。

 多くの人々が図書館を訪れた。もの静かな反政府軍兵士。若者の知らないダラヤについて語る「教授」というあだ名の年長者。人気の本は、中世の歴史家イブン・ハルドゥーンの『歴史序説』『星の王子さま』などなど。みな、地獄に閉じ込められたような日常で本が救いだった。心の中にほかの世界をつくること、自分をもつこと、人間であることを保つことのために本を読んだ。だが、2016年にダラヤは政府軍に制圧され、図書館創立の若者たちはちりぢりになったそうだ。アフマドほかの多くの人々は、残された反政府勢力地域イドリブに向かった。

 アフマドはイドリブで巡回図書館をはじめて、本への希望をつないでいる。本は、圧倒的な絶望の中の人々の心を救い守ることができるのだ。だが2018年9月現在、イドリブは政府軍とロシア軍の猛攻撃にさらされている。

(掲載:『望星』2018年6月号、東海教育研究所 に加筆訂正)

『図書館大戦争』ミハイル・エリザーロフ 著 / 北川和美 訳

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図書館大戦争
ミハイル・エリザーロフ 著
北川和美

河出書房新社、3,024円

 本には人を夢に誘う力がある。そんな本の魔力を、国の激変に翻弄され打ちのめされた、社会の底辺にいる人々が求めたら…。

 小説『図書館大戦争』。日本で人気の小説とそっくりのタイトルだが、まったくちがう。原タイトルを直訳すると「司書」。作者ミハイル・エリザーロフはウクライナ生まれ、ロシア在住の作家でミュージシャン。この本でロシア・ブッカー賞を受賞した。若いころにソ連崩壊を体験した彼は、作品でソ連時代へのノスタルジーを描く。

 舞台はソ連崩壊後のロシア。発端は過去のソ連時代の埋もれた作家グロモフの書いた一連の小説だ。グロモフの小説にはソ連社会の理想どおりの祖国愛と同胞愛に満ちている。描かれるのは努力、友情、勝利。主人公は共産主義者の工場長か集団農場の議長や帰還兵で、ひたむきに労働に励み仲間たちと力をあわせて職務を成し遂げるのがお決まりの平凡な物語。
 
 そしてソ連が崩壊した現代、グロモフの名も一連の小説も長い間忘れられていたが、ひょんなことから読んだ人に特別な力を与えることがわかった。グロモフの本の力に目覚めたのは新時代に虐げられたインテリ、社会から見捨てられた元犯罪者とホームレス、かつては労働の最前線にいた老女たち。それぞれの小説はタイトルではなく、読んだ人に与える特別の力の効果から、力の書、権力の書、憤怒の書などと呼ばれるようになる。そして本を中心に司書というリーダーのもと図書館、読書室を名乗る団体が組織され、グロモフ界の覇権を争いだす。そんなところへウクライナからやって来たアレクセイ。彼は小さな読書室の司書に祭りあげられて、本と権力をめぐった血で血を洗う苛烈な抗争に巻き込まれていく。

 本にとりつかれた人々は、ソ連が掲げた地上の楽園国家という共同幻想を未だ見ている。それは現実にはすでに崩壊し奪われてしまったものだ。恐ろしく、やがて悲しい夢の残骸。

(掲載:『望星』2016年3月号、東海教育研究所 に加筆訂正)

『戦争と読書 水木しげる出征前手記』水木しげる / 荒俣 宏 著

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戦争と読書 水木しげる出征前手記
水木しげる / 荒俣 宏 著
KADOKAWA(角川新書)、864円

 去年11月に逝去した漫画家水木しげる氏は『ゲゲゲの鬼太郎』など妖怪マンガの大家としておなじみだが、一方『総員玉砕せよ!』などで先の大戦での自分の従軍体験を描き続けた。水木氏は21歳で徴兵されて南方ニューギニアラバウルの激戦地で左腕を失っていた。

 この本は、最近見つかった水木氏の出征前の手記を採録、それを水木氏の第一の弟子、作家の荒俣宏氏が、水木氏と同じ年代で戦地に送られた青年の心情や当時の世相を交えて解説している。

 手記は太平洋戦争開戦の翌年、昭和17(1942)年10月、武良茂(水木氏の本名)20歳が、徴兵審査をうけたあと召集令状がいつ届くかという状況で、死地に向かうであろう己の心情を吐露するものだ。18歳のころから読書に没頭してさまざまな哲学書や小説を読み、とくにドイツの文豪ゲーテの言葉をつづった詩人エッカーマンゲーテとの対話』を座右の書としていた。読書によって自己に目覚め、心のなかは生きるための思想に浸りながら、国や世間からは死ぬことを要求される。軍国日本でまさに自分が死ななければならないのか、と懊悩。ゲーテほかニーチェやキリスト、漱石の言葉を思う。

「こんなところで自己にとどまるのは死よりつらい。だから一切を捨てゝ時代になってしまうことだ。」

 だが茂は出征のとき『ゲーテとの対話』を持って行った。

 荒俣氏によると、昭和のはじめは出版ブームで、東西の教養書や学術書が発行されて若者に影響を与えた。武良茂と同年代の出征した青年の多くは同じような思いを抱き、死に直面して悩む文章を書き残している。出版物が制限された戦争中、人々は「読むこと」に飢えた。

 人の心が、読書で得た自己の自由な思考と社会の抑圧的な要求との間で引き裂かれる。こんな悲痛なことは起こってほしくない。

(掲載:『望星』2016年2月号、東海教育研究所 を訂正)

 

『“ひとり出版社”という働きかた』 西山雅子 編

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“ひとり出版社”という働きかた
西山雅子 編
河出書房新社、1,836円

 本屋に行っても読みたい本がない、つまらない、とお嘆きの方もいるかもしれない。本の売り上げが落ちているなか、出版社は、確実によりたくさんの人に売れる企画を取り上げて本を作らざるを得ない。また、本は人に渡っていくのに手間のかかる情報媒体だ。情報媒体なのと同時に商品なので、まず市場に出て小売店である書店の売り場にならばなければならない。ところが書店も限られた売り場には確実によりたくさんの人に売れる本をならべたい。だが、売れる本がいくつもならんだ書店の棚は個性に欠けるかもしれない。そんな本は手に取ってみても買う気が起こるほど惹きつけられないかもしれない。

 そういった流れから外れて、自分がおもしろいと信じる企画から本をつくるために、ひとりかわずかな人数で本を出版し書店に売り込む出版社が読者を獲得しつつある。この本はその“ひとり出版社”の本のつくり手たちのそれぞれの本にのせる思いを語る。小さい書房、土曜社、里山社、港の人、ミシマ社、赤々社、サウダージ・ブックス、ゆめある舎、ミルブックス、タバブックス、夏葉社、沖縄の小さな出版社の本を売る、市場の古本屋ウララ、絵本専門書店とギャラリーでさらに出版もするトムズボックスほか。
 
 名前だけでも個性的な会社でひとり奮闘する人々。テレビ局にいた人、広告代理店にいた人、文化人類学者を志していた人も。大人むけの絵本、亡くなった作家の埋もれていた名作の復刻、「売れない」と言われる詩歌の本などを、読む人がいることを信じて、少ない部数を発行し小出版社の本を扱う取次や書店に託す。

 作者の小さな声を拾って遠くまで届く本。大勢ではなくひとりひとりの読者へ。本は本来、個と個をつなぐ自由な情報媒体であることを、このつくり手たちは思い出させてくれる。

(掲載:『望星』2016年1月号、東海教育研究所)

『声』アーナルデュル・インドリダソン 著 / 柳沢由美子 訳

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アーナルデュル・インドリダソン 著
柳沢由美子 訳

東京創元社
2,052円


 アイスランドの作家アーナルデュル・インドリダソンのレイキャヴィーク警察犯罪捜査官エーレンデュル・シリーズ邦訳第3作。未訳の作品を含めると第5作めになる。犯罪ミステリ小説というより、孤独な人々の家族小説だ。

 クリスマスのレイキャヴィーク。外国からの観光客で満室の一流ホテルに刺殺死体。死んだのはドアマンのグドロイグル。ショーのためにサンタクロースの格好をして、長年住んでいたホテルの地下室で発見された。エーレンデュルたちは捜査をはじめるが、従業員のだれもグドロイグルのひととなりを知らなかった。

 だがホテルに滞在しているレコード蒐集家から、グドロイグルが少年時代の短い間、奇跡の声と言われたボーイソプラノの歌手だったと聞いた。グドロイグルの遺族、父と姉がよばれたが、なにも悲しみもせず面倒事のように憮然としていた。ただ、グドロイグルが歌手をやめたのは変声期を迎えたため奇跡の声が失われボーイソプラノ歌手として使いものにならなくなったため、とだけ語った。

 その後、グドロイグルの故郷で調べたところ、彼の過去が解き明かされた。父親がグドロイグルを有名な歌手にすることを夢見て厳しく扱っていたこと、子どもスターというせいで学校で酷くいじめられていたこと、はじめての大きなコンサートで、歌いだしたとたんに無惨に声変わりしたこと、夢が叶えられなくなった父親と決裂したこと……。

 この物語のテーマは「子どもの傷」だ。エーレンデュル自身の子どものころ、吹雪の山でいっしょにいた弟を失った傷。エーレンデュルの娘エヴァ=リンドの、父エーレンデュルが母と離婚後、自分と会おうとしなかったという傷。父と娘は互いの傷をもっと知ろうとする。

 時間はどんな傷も癒しはしない。ただ、傷の痛みをともに感じ、共有してくれる人がいることだけが救いになる。

(掲載:『望星』2015年10月号、東海教育研究所に加筆訂正)

『凍える墓』ハンナ・ケント 著 / 加藤陽子 訳

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凍える墓
ハンナ・ケント 著
加藤陽子
集英社集英社文庫
1,015円

 「幸福な国」と知られているアイスランド。男女平等指数は世界第1位だ。

 この本は1830年アイスランドで最後に死刑となったひとり、アグネス・マグノスドウティルという女性の記録を、オーストラリアの作家ハンナ・ケントが丹念にたどり、物語にしたものだ。

 デンマークの統治下のアイスランド北西部。地味に乏しい土地で人々は牧畜を営んでいる。背の低い灌木しか生えていない地では木材は贅沢品なので、家は芝土で作られている。壁は崩れ落ちやすく人々は土ぼこりで肺を蝕む。燃料は家畜の糞。貧しい人々が農場を渡り歩いて使用人をしていた時代。

 短い夏が始まる6月、行政官ヨウンの農場に死刑囚アグネスが運ばれてきた。北にある農場の使用人だったアグネスは、もうひとりの使用人の少女と近所の少年とで共謀し農場主ナタンとその友人を惨殺したという。県の行政長官はヨウンに、刑務所がないので刑の執行まで彼女の身柄を管理するよう命じたのだ。殺人犯を家に置くことに怖気をなすヨウンの妻マルグレット。

一方、若い牧師補トウティは行政長官から、アグネスが自分の教誨師にトウティを名指ししたので刑の執行までに彼女を悔い改めさせるように、と要請される。アグネスに会った覚えのないトウティは、未熟な自分が殺人犯に何かできるのか、と不安をつのらせる。

 アグネスは絶望のなか半生を振り返っていた。そしてマルグレットとトウティに自分のことを少しずつ語り始める。マルグレットとトウティはアグネスの打ち明け話を聞くうちに、心を寄せていく。

 庶子として生まれ、幼いころからあちこちの農場で働いてきたアグネス。当時の女性の幸せは農場主と結婚し農場の女主人になることだけ。医術にたけ外国へ行ったこともあるという謎めいた男ナタンに惹かれ、幸せを夢見た。

 小さく閉じた世界で、もがき、切り裂かれた女性。誰かの妻でなければ魔女とされた時代だった。だが今は違う、とは言い切れまい。

(掲載:『望星』2015年6月号、東海教育研究所に加筆、訂正)

『海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録』平野義昌 著

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海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録
平野義昌 著
苦楽堂
 2,052円

 2013年9月30日、神戸市にある老舗書店、海文堂書店が閉店した。99年間、地元で信頼され愛された。地元の同人誌や古書店も応援していた。全国にも海事専門書が豊富にあることで知られていた。人々が集まる大きな樹のような本屋さんだったのだ。閉店までの数日、別れを惜しむたくさんの人が押し寄せた。

 著者は他の書店を経て2003年に海文堂に入社、閉店まで人文社会の本の担当として働いた。海文堂の歴史をつくった社長や店長たち、いっしょに働いた仲間たち、通ってくれたお客さんたちを語る。だが「愛された本屋さんのいい話」で終わらずに、海文堂への強い愛着とその閉店への深い嘆きを吐露している。

 海事専門書の出版社と販売店としてスタートした海文堂。書店社長が島田誠氏の代には児童書ほか一般書の拡充、美術ギャラリーの併設、書店PR誌や郷土誌の発行、地元文学同人誌関係の本など、神戸の文化発信の場として活動を広げていった。1995年1月17日の阪神淡路大震災でも幸い店舗の被害が小さかったため、25日には再オープンし被災者の心を支えた。しかし震災が古くからつづく神戸の街のにぎわいに与えた打撃は、海文堂をも長く蝕んだ。

 店員は書店の本を熟知しており本を探すお客さんをすぐに案内できた。また出版取次の販売情報に頼らず、それぞれの分野の本の担当が工夫して独自の棚づくりに努めた。長年の顧客も多く、小さいころから通った人も、よその書店で見かけた本を海文堂で購入する人もいた。

 なので閉店を知ったお客さんの悲しみは大きかった。

「これからどこで買え、言うねん!」

 著者をはじめ店員はもっと深い悲しみと嘆きに沈んだ。

 大きな樹が倒れると根が枯れて地盤が弱くなる。街から本屋さんがなくなることも同じ。街の本屋が閉店すると人々は近所で本に出会う場がなくなりつつあることにはじめて気づくのだ。

掲載:『望星』2015年11月号(東海教育研究所)に加筆