本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『ゆの字ものがたり』田村義也著

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ゆの字ものがたり> 田村義也
新宿書房
3,150円



 「田村義也は、装丁家ではないし、絵かきでも図案家でもない、一個の編集者であるに過ぎない。」作家、安岡章太郎の言葉。
   だが、この本の著者、田村義也は一個の編集者としてはあまりある業績を残した。1948年、岩波書店入店。多大な本の編集と装丁を手がけ、一方、岩波書店にて言論誌『世界』の編集長も務めた。
 装丁のポリシーは「書名と著者名がよく見えること」。デザインと化した文字を大胆かつ緻密に配置する。骨太、素朴でしかも華麗な画面。本の内容を知り尽くした装丁だ。
 1986年に岩波書店を退職した後も精力的に仕事を続けた。その影響力は周りに人を集め、いわば「田村学校」をつくりあげていたという。2003年死去。生涯現役だった。
 この本は田村の死後、発行されたエッセイ集。その内容は編集と装丁の話はもちろんのこと、担当した久保栄金達寿をはじめとする作家たちとの深い交流、旅行記、好きな食べ物、酒への一家言などなど。
 本を編集、装丁するにあたって、著者とこれでもかというくらい話し合い、何かいい図案はないかと探し回り、一文字一文字の形にこだわる。そして昭和の始めの、装丁にも手をかけて作られた本を称え、色の表現に優れているが重厚感に欠けるオフセット印刷全盛の今を嘆き、活版印刷の文字組みを懐かしむ。
 また、酒については醗酵、醸造学の世界的権威、坂口謹一郎の薫陶を受けただけあって、愛着以上のものがうかがえる。
 田村義也は本を編集するうえで装丁も手がけるといったオールマイティな編集者である一方、本作りにとことんこだわる職人だった。編集職人というべきか。昭和の出版全盛期はこうした人物に支えられていたのだ。
(掲載:『望星』2007年6月号、東海教育研究所)