本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ沢渡 曜の書評ブログ

『アラーの神にもいわれはない ある西アフリカ少年兵の物語』       アマドゥ・クルマ著、真島一郎訳

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アラーの神にもいわれはない―ある西アフリカ少年兵の物語
アマドゥ・クルマ著
真島一郎訳
人文書院
2,520円

 「アラーの神さまだってこの世のことすべてに公平でいらっしゃるいわれはない」が、このタイトルの意味だ。西アフリカの大西洋に面した国、リベリアシエラレオネ。戦火が絶えることがなかった。いくつもある武装勢力は、子どもを徴兵または誘拐して兵士として使ってきた。2000人もの死者が出た2003年7月、8月のリベリアの首都での市街戦。そこを映した映像には、銃を持って闊歩する十代らしき子ども兵が映っている。
 著者アマドゥ・クルマはリベリアの隣国コートディヴォワール出身。「闘うグリオ(語り部)」と呼ばれる西アフリカ屈指の作家だ。政変に巻き込まれ何度も国を追われてきた。叙事詩のような歴史物語で知られる彼は、七十代半ばになって、子どものつたない語り口で語られるリベリアシエラレオネの凄惨な現実に基づいた寓話物語を描いた。この本はフランスで二つの有名な文学賞を得ている。
 少年ビライマは10歳か12歳。父はすでに亡く、母は病気で苦しみながら死んでいった。ビライマは縁者の「おばさん」を頼るべくリベリアに渡る。子ども兵になれば、食いっぱぐれることがなく、欲しい物は何でも手に入る、ということを聞いて。そしてさらにシエラレオネへ。行く先々でビライマは武装勢力の子ども兵組織に入り、仲間たちと襲撃を繰り返す。麻薬づけにされ、大人より残酷に殺し、使い捨てにされていく子ども兵。身よりも頼る人もない子どもたちには子ども兵になるしか道はない。
 「くそったれでいまいましいぼくの人生」とたった10歳くらいのビライマが言う。クーデターと殺戮が反復する世界から逃げられないビライマはただ世界を罵倒することしかできない。それは作者の思いなのか。西アフリカの政治への絶望が伝わってくる、寓話にしては、あまりに重い本だ。
(掲載:『望星』2003年11月号、東海教育研究所)