北條文緒訳
みすず書房、1,890円
戦争の犠牲者、死体や苦痛にあえぐ傷ついた人々、恐怖と絶望の中にいる人々の写真が、戦争の真実を伝えるためにテレビ、新聞、インターネット、または報道写真展など、いたるところで公開されている。それを見て、写真のなかの人々の苦しみに心を痛める、というのが普通だ。だが、ときどき思う。自分はこの人たちの苦しみを本当に感じとり理解することができるのか、理解しているふりをしているだけじゃないか、他人の苦しみに心を痛めている善良な自分を再確認したいだけの偽善者じゃないか、と。
アメリカの作家であり批評家でもあるスーザン・ソンタグは、戦争写真の撮られる側と見る側の埋められない深い溝を、この本で鋭く突いている。
映像を操作して事実を作り上げることが可能な現在の戦争報道において、戦争の犠牲者たちを映した写真は、カメラマンやフォト・ジャーナリストの誠実さにかかっている。しかし、それを見る側はどうだろう。恐ろしい写真から目をそらしてしまえばそれで済んでしまう。また、人には残酷なものが見たい、という欲望がある。確かに戦争写真には、苦痛と同時に美しさを感じさせるものもある。一方、戦争で癒しがたい苦しみを味わった人々は、この経験をしたことのない人には自分たちの苦しみは理解できない、と言う。
この撮られる側と見る側の絶望的な距離について、著者は一片の希望を投げかける。写真に映った他人の苦痛を理解することはできないが、苦しんでいる人がいることを知り、記憶することはできる。そこから道を歩き始めることができるのだ、と。
他者の苦しみをただかわいそうと思うだけでは意味がない。そうなった原因を知ろうとしなければ感傷にすぎない。
(掲載:『望星』2003年10月号、東海教育研究所)