本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『石神井書林日録』内堀弘著

61ra2evz5jl_aa240_

石神井書林 日録

内堀弘

晶文社

2,100円

 本の世界には、普通の明るい書店の本のようにピカピカの本があるばかりではない。年月を経て怪しい雰囲気を醸し出すに至った不思議な本もあるのだ。

 「石神井書林」は店舗のない古本屋である。古書目録を顧客に送り、注文を受けて販売している。近代の詩歌についての本や雑誌が専門だ。ここの店主である著者の、古本屋の主としての日々の悲喜こもごもを描いたのが、この本である。

 古本屋の店主とは、いつも本に埋もれそうになって、店の奥に座っているのではない。ぜひ目録に載せたい本を探すため、各地の古書市場や古書展へと東奔西走するのだ。「古書と親の仇は出会い頭に行き当たるもの」という言葉があるそうだ。古本市場では入札によって本を仕入れる。目的の本を手に入れては喜び、逃しては落ち込む。目録作りも重要である。その古本屋の個性と店主の古本とその専門分野への知識の深さが表れる。

 著者は、近代の、特に大正、昭和初期の詩歌の本を探求するうちに、さまざまな詩人や文筆家などの痕跡やつながりに出会う。たくさんの小出版社が乱立し、それぞれ個性的な本や雑誌を出版した時代である。かつての豊かな活字文化がそこに広がる。古本屋の主は古本を集めることによって、過去のおもしろい世界を甦らせ、古書目録にそれを発表し客に示すのである。

 その労苦を著者は楽しげに語る。こんな会話がある。「なんで、古い詩集を売って食べていけるの」「なんとなく、だと思いますよ」。本好きな人なら、古本屋さんていいな、と思ってしまうだろう。

 この本は本の世界の深いところにある怪しさを読者に見せてくれる。そしてその怪しさに取りつかれた人々を描いている。そう、本とは本来、健全なものではなくて怪しいものなのだ。

(掲載:『望星』2002年、東海教育研究所)