本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『われらはみな、アイヒマンの息子』ギュンター・アンダース著、岩淵達治訳

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われらはみな、アイヒマンの息子

ギュンター・アンダース

岩淵達治訳

晶文社、1,890円

 アドルフ・アイヒマンナチスドイツのユダヤ人絶滅計画の総責任者だった。戦後アルゼンチンに逃亡し、家族とともに隠れ住んでいた。だがイスラエルの情報機関によって、1960年ついに彼は捕まり、イスラエルで公開裁判にかけられた。そして1962年絞首刑となった。

 アイヒマンの息子クラウス・アイヒマンへ哲学者で著述家、反核運動家のギュンター・アンダースは1964年と1988年に公開書簡の形で手紙を送った。それがこの本に収録されている。

 ギュンター・アンダースはドイツ出身のユダヤ人だ。最初の妻は20世紀を代表する哲学者ハンナ・アーレント。彼女もドイツ出身のユダヤ人。アイヒマンの裁判を取材し、著作『イェルサレムアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』として生み出した。

 公開裁判でさらけ出されたアイヒマンの実像は、勤勉で凡庸な一役人だった。自分は、ただ上からの命令に従って職務を全うしたに過ぎない、と言った。

 アンダースは、アイヒマンの息子クラウスにこう書いている。あなたの父上は家では優しい父親だったのだろう、その優しい人物が悪を行ったのだ。巨大な機械のような組織で歯車のように働く人々は自分の仕事しか見ず、世界の実像と他人の苦しみに無関心になってしまう。このような良心を失ったたくさんのアイヒマンが、組織に盲従して職務を遂行する。われわれはアイヒマンの子なのだ。やがてもっと巨大な機械の帝国が人類を囲い込み、人間は歯車に組み込まれるだろう。働かない人、仕事の能力のない人は屑と扱われるだろう、と。

 現在、アンダースの言う機械の帝国はいたるところにある。そこで私たちがどうやって世界に目を向け、他人の痛みを感じながら生きるか。解説を哲学者、高橋哲哉が寄せている。

(掲載:『望星』2007年7月号、東海教育研究所)