本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『センセイの書斎』内澤旬子著

41h6sx52n7l_aa240_センセイの書斎―イラストルポ「本」のある仕事場内澤旬子幻戯書房 2,310円  本を置く場所を確保するのは、ふつうの人にはむずかしい。ましてや書斎を持つことなどは夢のような話だ。しかし、この本に出てくる作家、研究者など31人のセンセイたちはそれぞれ個性的な書斎を持っている。  作家、林望の書斎は22畳もの部屋に図書館にあるような移動式書棚が10数台並び、1万冊以上の本が収まっている。一方、評論家、辛淑玉の書斎は現在仕事に使っている本しかおいていない。使い終わった本は必要なところだけビリビリと破ってとっておく。シンプル・イズ・ベスト。なかには2つ3つと書斎を使い分ける猛者もいる。しかしさらに上をいくのが、作家、小嵐九八郎の書斎。放浪生活に本を詰め込んだダンボールの山がついてまわる。放浪の書斎なのだ。対照的なのが日本近代文学研究者の曾根博義の書斎。本のための家なのだ。家にぐるりと巡らせた塀のなかに書棚が並んでいる。家本体も2階は本がぎっしり。こうして5万冊もの本を収容している。まさに本とともに暮らしているのだ。  それぞれがそれぞれなりに本を愛している。だが、持ち主が死んだら蔵書はどうなるのだろう。バラバラに売られるか。捨てられるか。  センセイのなかには蔵書と幸せな別れ方をした人がいる。国語学者金田一春彦の蔵書は主の死後、山梨県北杜市金田一春彦記念図書館の蔵書として第二の生を送っている。また、ある中国の宋の時代の貴重書は、愛書家に守られて時代の波を乗り越え、キズもなく世田谷の静嘉堂文庫に収められている。  著者の精緻なイラストが、センセイ方と書斎の情景を楽しく伝えている。本棚を見ればその人が解る、というが、書斎は大きくても小さくても、持ち主の思考のミクロコスモスでありまたカオスでもあるのだ。 (掲載:『望星』2006年12月号、東海教育研究所)