本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『続和本入門 江戸の本屋と本づくり』橋口候之介著

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和本入門 続 (2)

橋口候之介著

平凡社

2,310円

 本の街神田神保町の老舗、誠心堂書店。創業1935年の和本、古典籍などを扱う古書店だ。店主橋口候之介は、1984年に創業者である岳父のあとを継いで店を取り仕切ってきた。そして前書『和本入門 千年生きる書物の世界』に続いて、この本で和本の世界にいざなう。

 前書は和本そのものの基礎知識を説いていたが、今回は中級編といったところ。江戸時代の出版、流通、販売についてである。現在は出版社、印刷会社、取次会社、書店から成り立っているが、江戸時代は「本屋」で全て行った。さらに古本の販売や貸本も扱った。この本では、職人たちの手当や出版に関わるさまざまな雑費を調べ、当時の出版原価計算もとっている。またインターネットで公開されているデータベース「日本古典籍総合目録」を使って年ごとの書物成立も表にしている。江戸時代の出版文化を知るうえの貴重な資料だ。

 江戸時代、江戸、京都、大阪の三都で出版文化が花開いた。板にページを彫って印刷する木版印刷の本は江戸時代に多く作られた。その版木を管理するのも本屋の仕事だった。本と版木は本屋の市場で流通した。この時代は文字を読める人も増え、読書が楽しみとなっていった。17世紀までは、いわゆるカタイ本を「物之本」として「書物屋」や「物之本屋」と呼ばれるところで売られていた。だが18世紀後半からは実用書や小説、趣味の本、旅の本など楽しみのための本が「草紙屋」という別の本屋から売られるようになった。江戸では「地本問屋」と呼ばれた。

 『北越雪譜』は越後国塩沢の縮商人、鈴木牧之が地元雪国での生活や風俗習慣を描いた本だ。1836年に江戸の本屋、丁字屋平兵衛が発行した。鈴木牧之の文章に戯作者山東京山が読みやすく加筆修正し、山東京山の息子、岩瀬京水が描いた挿絵は二色刷り。この本の出版のために牧之は当時一流の戯作者と絵師に文と絵を任せることにこだわった。書き手は最初、山東京伝を頼んだが果たせず、次に曲亭馬琴もだめ。そして山東京伝の弟の京山が協力を申し出た。なった。そして最初の構想から30年以上の紆余曲折をへて発行となった。これが大当たりし、6年後に続編が出た。ここまでのすったもんだとなったのは、本屋の採算という問題と、あと鈴木牧之の文章で読者を惹きつけられるかということにある。そこで一流の戯作者が必要だったのだ。江戸時代も今も出版は、馬琴が「おのれ一人おもしろがりてハ売物にならず」と言ったように採算との戦いだった。

 江戸時代は自費出版(あるいは同人誌?)ともいうべき「私家版」も盛んに作られた。後の尊皇攘夷思想に大きな影響を与えた国学者平田篤胤の著作は、驚くべきことにほとんど私家版だったのだ。危険な政治思想などは、本屋から普通に出版できなかった。

 さらに手書きの本、いわゆる写本も木版印刷の本に負けないくらい作られた。「忠臣蔵」など幕府の采配に異をとなえる物語も普通には出版できなかったので、写本によって世の人に親しまれるようになった。世俗的な読み物は写本が多かった。「八百屋お七」の物語も写本だった。

 こうしてたくさんの本が世の人に親しまれたが、本は一人の読者のもとで終わるのではなく、多くの人の間を渡り歩くものだった。本は人々のなかを巡るあいだに書き込みや注釈を入れられた。人々のなかを巡って成長する本。

 本の世界は広大だ、とくらくらする。

(掲載:『望星』2008年2月号、東海教育研究所より加筆)