本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『死を生きながら イスラエル1993-2003』デイヴィッド・グロスマン著、二木麻里訳

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死を生きながら イスラエル1993-2003

デイヴィッド・グロスマン著

二木麻里訳

みすず書房、2,940円

 

 朝、父親が息子を起こすと、訊かれる。「今日のテロってもう、起きたの?」。若いカップルが将来について話し合う。「結婚して3人子どもをもつ。そうしたら1人死んでも2人残るから」。これがイスラエルユダヤ人の日常だ。死とテロについて考えずにはいられない。

 著者デイヴィッド・グロスマンはイスラエルの首都エルサレムに住むユダヤ人作家。これまで『ヨルダン川西岸』『ユダヤ国家のパレスチナ人』などでユダヤ人から見たパレスチナ人を描き、和平と共存を訴えてきた。この本は、1993年から2003年までのイスラエルパレスチナの戦闘と和平への取り組みと苦闘について、彼の目から見たエッセイを収録している。

 1993年のオスロ合意。平和への道ができたかに見えたが、不完全でパレスチナ側に不利なものだったため、挫折。自爆テロと爆撃の応酬が日常となる。そしてシャロンの首相就任。強硬派が台頭してくる。平和の道は未だ見えない。

 自分の民族が他の民族を迫害しているといううしろめたさ。それによって起こるテロへの恐怖。もし、故郷を追われたパレスチナ人に帰還権を認めたら、数十年で自分たちは少数民族となり、迫害されるのではないか、という不安。平和を願うユダヤ人にもこのような懊悩がある。だが、著者は言う。「合意をあきらめるという〈贅沢〉はわたしたちに許されていない。」ともに生き残るためには、話し合うしか道がない。そして、エルサレムとガザとラマラのすべての壁にこう落書きしたいと吐き出す。「気ちがいども、殺すのをやめて話をはじめろ!」

 その後、アラファトは死にシャロンは政界を退いたが、なおも状況は悪化するばかりだ。テロと砲撃の応酬は止まらない。

 平和とは戦いや祈りで得られるものではなく、自分たちと異なる者とのねばり強い対話と交渉によって得られるのだ。

(掲載:『望星』2004年9月号、東海教育研究所)