本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『アストリッド・リンドグレーン 愛蔵版アルバム』ヤコブ・フォシェッル監修、石井登志子訳

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アストリッド・リンドグレーン―愛蔵版アルバム

ヤコブ・フォシェッル監修

石井登志子訳

岩波書店、7,560円

 子どものころ、『長くつ下のピッピ』が大好きだった、という人は多いだろう。赤毛でそばかすだらけの世界一強い女の子。ほかスウェーデンの田舎の子どもたちの楽しい日々を描いた『やかまし村の子どもたち』。「ちいさいロッタちゃん」などなど、スウェーデンの作家アストリッド・リンドグレーンの書いた物語は、子どもには夢を見せ、大人には懐かしい思い出を与えた。この本は2002年に94歳で亡くなるまでのアストリッドの人生を、貴重な昔の写真でつづったもの。

 アストリッド・リンドグレーンは1907年、スウェーデン南部、スモーランドの町ヴィンメルビーの農場で生まれた。深く愛しあっていた両親のもと兄と2人の妹がいた。この本の冒頭にはアストリッドが書いた両親の物語『セーヴェーズトルプのサムエルーアウグストとフルトのハンナ』が収録してある。

 兄妹たちは野山を駆け回り、自然のなかでのびのびと遊んで育った。やかまし村の子どもたちのように。

 だがアストリッドは18歳のとき、望まない妊娠でシングルマザーになる。1人で首都ストックホルムへ行き、生まれた息子のために必死で働いた。やがて息子の父親とは別の男性と結婚。娘をもうけた。

 娘の風邪の看病の最中、『長くつ下のピッピ』のプロットが浮かんだ。36歳のとき書き上げて出版社に送ったが拒否された。別の出版社に小説『ブリット-マリはただいま幸せ』を懸賞に送ったところ2等賞になり、これがデビュー作となった。翌年同出版社の懸賞に『長くつ下のピッピ』を送ったところ1等賞となった。ここからアストリッド・リンドグレーンの作家としての快進撃が始まる。『ピッピ』3部作はベストセラーとなり、世界中の言葉で出版された。

 こうして国民的作家となったアストリッドだが、「わたしにとって、わたしはいつでもヴィンメルビーの農場の娘。少し年をとって、ちょっと分別がついただけよ。」彼女は大人になっても子どものように遊ぶのが大好きだった。ブランコを漕いだり木に登ったり、子どもたちや孫たちを喜ばせては自分も楽しんでいた。だが国民的作家としての影響力は大きかった。時の政権が課した高額の納税に抗議し、書いた風刺物語が新聞に載せた。これが賛同を呼び、半年後、与党は政権を降り、税率も下がった。

 アストリッド・リンドグレーンは社会と積極的に関わっていったが、夢見ることも忘れなかった。彼女にとっていつも心にあったのはふるさとの農場だった。