
『
戦争を記憶する―広島・ホロコーストと現在 (講談社現代新書)
』
藤原帰一著
講談社
714円
さまざまな国やさまざまな人が合意する
歴史認識をつくりあげるのは絶望的なほどに困難なことだ。
第二次世界大戦については、それぞれが忘れてはいけない記憶として語り伝えてきたことに、埋めることのできない溝がある。例えば原爆投下は、日本では一般人を虐殺した絶対悪だが、
アメリカにとっては、戦争を
終結させ多くの自国民と日本人や中国ほかのアジア人の命を救った平和と勝利のシンボルである。
国際政治学者の著者、
藤原帰一は、戦争が記憶として人々の心に刻みつけられ、そしてその記憶が国家の根幹を成す主義や社会に浸透する思想となっていくことについて冷静な目で考察する。
ホロコーストは、
第二次世界大戦では原爆投下と並ぶ一般人への虐殺行為だが、日本で「
ヒロシマ」が掲げる
反戦のメッセージとは違ったメッセージを
アメリカでは発している。人々を虐げる国家に対して戦う責任を問う、すなわち正義の戦争「正戦」のメッセージである。この
反戦、正戦の思想は日本と
アメリカの国家の根幹となる。しかし
被爆都市
ヒロシマと、唯一の
被爆国として平和を祈念する日本というメッセージには、広島の悲劇を日本国民の経験として記憶を共有する、ということが前提となっていて、他の民族への視点が抜け落ちている。こうした自国中心の平和主義が国の柱となる一方、自国中心の栄光の物語を「正しい歴史」とする思想が育ってきており、多くの人に支持されている。著者はこれらの思想の成立過程を検証し、その弱点をつく。
さまざまな国の人に受け入れられる
歴史認識はつくることができないのか。それには、自国民の悲劇を思いやると同じように、かつての交戦国の人々を襲った悲劇を思いやる心が必要だ。
(掲載:『望星』東海教育研究所)