本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『快楽の本棚 言葉から自由になるための読書案内』津島佑子著

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快楽の本棚―言葉から自由になるための読書案内 (中公新書)

津島佑子

中央公論新社

798円

 

 有名な小説家だったという父親をおぼえていない子ども。教育ママだった母親は、子どもを父親のいた文学の世界に近づけまいとした。しかし子どもは、そんな危険でいかがわしい文学の世界をこわいもの見たさでのぞき込んだ。子どもはやがて本を読む少女となり、そして小説家となった。この本は太宰治の娘、小説家津島佑子の読書の軌跡である。読んだ本はその人の人生を物語る。

 少女と呼ばれる年齢になると、女にならなければいけない、ということに違和感を感じ、少女小説に出てくる可愛らしく家庭におさまっている少女像に共感できない。その反発から大人の小説の世界に入っていく。

 性への興味に動かされて、モーパッサンの『ベラミ』、井原西鶴の『好色一代男』、発禁処分にされたD・H・ロレンスの『チャタレー夫人の恋人』、さらに同性愛者とされるサッポーやオスカー・ワイルドの著作から、社会のタブーと文学という視野が拓く。

 社会の隠された部分を日の目に出す文学。これが規制されるのでは「言論の自由」が保障されているとは言えない。戦前のプロレタリア文学や、社会の規範を打ち砕こうとした近代の女性作家たちの活躍も文学の自由を目指したものだったのだろう。さらに眼はトニ・モリスンら黒人の女性作家や旧植民地出身の作家へ、そして世界の口承文芸へと広がる。

 「私」が何かを見て感じるとき、性別はほとんど存在しない、しかしそれを言葉にしようとすると「私」の「性別」が大きく影響する、この言葉の束縛から自由になるために「文学」という言葉と戦う場がある、と著者は言う。人間と言葉のつながりから生まれた、現実にそったもうひとつの世界「文学」に耽溺し言葉と格闘する快楽。本を読む喜びを思い起こさせてくれる。

(掲載:『望星』2003年5月号、東海教育研究所)