本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『アラブ、祈りとしての文学』岡 真理著

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アラブ、祈りとしての文学

岡 真理著

みすず書房

2,940円

 かつてサルトルは、アフリカで子どもたちが飢えて死んでいるのに文学は何ができるか、と問うた。現代アラブ文学の研究者である著者、岡真理もこの問いに直面している。パレスチナパレスチナ人がイスラエル軍に追い詰められ殺戮されているのに、文学は何ができるか、と。

 2006年、パレスチナの難民キャンプで著者が出会った青年は

「ぼくらは檻の中の猿だ」

と呟く。分離壁に閉じ込められた狭い街。イスラエル領内への立ち入りが禁じられているため働くことすらできない。イスラエル兵から受ける屈辱。若い青年には残酷すぎる飼い殺しのような人生。絶望のあまり他の青年のいくらかは自爆テロに走る。何があなたに自爆を思いとどまらせているの、という著者の問いに

「ぼくは生きたい、……どこにどんなとは言えないけれど……希望はあると信じています」。

 アラブ世界でも小説はたくさん書かれている。貧しく小さき人々の言葉を取り上げた小説もある。岡真理は、第三世界フェミニズム思想の研究者でもあるため、抑圧されていると言われているイスラム教徒の女性を描いた小説にも注目する。パレスチナ人男性作家イブラーヒム・ナスラッラーの小説『アーミナの縁結び』はイスラエル軍パレスチナ侵攻が最も激化した2002年のガザに住む女性たちの悲しみと狂気を物語った。

 抑圧され死のふちまで追いやられ根拠のない希望にすがって祈るしかない人に文学はできることがあるのか。ある、と岡は答える。絶望している人々の心に寄りそい彼らのことについて書くことは祈ることなのだ。それが文学というかたちになって人々に知らしめられ共感を呼ぶ。

 絶望している人々について書くことが祈りなら、それを読むこともまた祈りなのではないだろうか。読むこととは共感することだ。

(掲載:『望星』2009年4月号、東海教育研究所)