デイヴィッド・リーフ著
上岡信雄訳
岩波書店、1,890円
スーザン・ソンタグはアメリカで批評、小説、エッセイなど幅広く輝かしい活躍をした。代表作に『隠喩としての病い』『写真論』『他者の苦痛へのまなざし』がある。9・11テロ、アメリカ軍のイラク侵攻には、時のブッシュ政権を激しく非難した。
さて2004年の3月、ソンタグ71歳。ソンタグの息子で母のマネージャーをしていたデイヴィッド・リーフは、母の求めに応じて病院にいっしょに行くことになった。「たぶん何でもないわ」。
しかし医師の宣告は2人を戦慄させた。ソンタグは骨髄異形成症候群を患っており、それは間違いなく急性骨髄性白血病を起こし、彼女を死に至らしめるだろう、と。骨髄移植だけが有効な手段だが、成功の確率は極めて低い。帰宅する車のなかで、彼女はつぶやいた。「ワオ」。
突然の死の宣告は、ソンタグを恐怖とパニックに陥れた。だが彼女は自分が死ぬということを決して信じなかった。何て言ったって、自分はかつて、治る見込みが低い乳がんと子宮がんから生還したことがあるのだ、と。闘いが始まった。自分の病気の情報をかき集め、食いつくように読み、治る見込みをほのめかす文章には線を引いた。ソンタグは自分の存在と知性と理性を信じていた。自分の人生と世界を愛していた。それに敗北することを許さなかった。少しでも長く生きられるようもがき続けた。骨髄移植も受けたが、失敗に終わった。
その様子は息子デイヴィッド・リーフが見ていて痛々しいものだった。愛は死に直面した人には役に立たなかった。死の海を泳ぐ人は孤独なのだ。9ヵ月後、薬の副作用に苦しみながらソンタグは死んだ。息子には信じられなかった。母を助けるために何もできなかったなんて。
死に対面したときの勇気ある行動とは何か。死を受け入れ周りの人々に感謝しながらそのときを待つか。それとも死に抗い闘いつづけるか。
(掲載:『望星』2009年7月号、東海教育研究所)