『夜』
村上光彦訳
みすず書房 2,940円
ナチス・ドイツによるユダヤ人、ロマほかの絶滅のための強制・絶滅収容所、アウシュヴィッツ収容所。ポーランドのオシフィエンチムにかつてあった。数あるナチス・ドイツの収容所のなかでも人類の愚行の跡として世界遺産に登録されている。今年の1月、解放から65年を迎え、追悼式典が行われた。
アウシュヴィッツ収容所の跡は、現在、ポーランド国立アウシュヴィッツ博物館が管理、運営しているが老朽化が進んでいる。博物館は永久保存運動のために約160億円の基金の寄付を募った。ドイツ政府は、これを受けて昨年12月に78億3千万円の拠出を発表した。ドイツのウェスターウェレ外相はこのことについて「われわれの歴史に対する責任だ」との声明を述べた。
人類のために風化させてはいけない歴史。この本の著者、エリ・ヴィーゼルにとっては過去とならない記憶だ。この本の初版は1958年に発刊された。そして今回新たに新版、新訳となった。
家族といっしょにアウシュヴィッツへ送られた1944年、ヴィーゼルはまだ15歳。ルーマニアのトランシルヴァニア地方に生まれ育った敬虔なユダヤ教信徒だった。それが地獄のようなアウシュヴィッツの日々で、神への信仰が崩れ落ちた。母や妹と離され、父と支え合って生きのびる日々。絞首刑を見ていた囚人は言う。「いったい《神》はどこにおられるのだ」。ヴィーゼルは、自分の心の中にこんな声を聞く。「どこだって? ここにおられる—ここに、この絞首台に吊されておられる……」。神が死に瀕した自分たちに何もしてくれないことへの絶望。一方、体調の悪い父を重荷に感じるようになった自分に気づき、苦しむ…。
記憶は忘れ去られることはなく、心に刻まれるのだ。愚行の遺産でも、その痕跡を消してはならない。
(掲載:『望星』2010年5月号、東海教育研究所)