本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『ハーモニー』伊藤 計劃 著

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ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

伊藤 計劃

早川書房

1,680円

 伊藤計劃(いとう けいかく)はSF作家としてわずか1年半ほどしか生きなかった。1974年に生まれ2009年に34歳で肺がんのため亡くなった。残した長編小説は『虐殺器官』(早川書房)、『METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS』(角川グループパブリッシング)、遺作『屍者の帝国』は未完に終わった。ほかに短編や評論をいくつか遺している。そしてこの『ハーモニー』。

 未曾有の世界的危機「大災禍(ザ・メイルストロム、原因は前作『虐殺器官』にくわしい)」で多くの人命が失われたのち、世界的な統治機構「生府」は高度な福祉を人々に与える確固と安定した社会を作り上げた。各個人は常に生体データを生府にモニタされ、怪我をしたり病気になったりしてもすぐに医療機器が治してくれる。健康で満ち足りた生活と優しい平穏な人間関係を保つ社会。死や健康を害すること(例えば喫煙)は反社会的とされる。もちろん他人の心身を害する、例えばいじめもない。

 そこで女子高生、霧慧トァンは一人きりでいる変わった少女、御冷ミァハと知り合う。独特の考えを持ち頭が切れ社会に反抗的なミァハに、もう一人の少女、零下堂キアンとともに心酔と言えるほどに魅せられていく。ある日、トァンとキアンはミァハに提案される。自殺してみない、社会のものにされてしまったわたしたちの体を奪いかえすの、と。3人は栄養をすべて遮断する薬を飲んだ。結果、トァンとキアンは生き残り、ミァハは死んだ、と伝えられた。

 数年後、大人になったトァンは生府の末端機関の仕事について海外を飛び回っていたが、ミァハのことは忘れがたく、人を束縛する社会にいらだっていた。日本に帰ったおり、零下堂キアンと再会する。2人で食事しているさなか、キアンは「うん、ごめんね、ミァハ」と言ったかと思うと、いきなりナイフで自分の頸動脈を切り裂いた。同じ日同じ時間同じように多くの人々が突然自死した。トァンは職権を使ってこの事件を調査し始める。御冷ミァハが関わっているのではないか、と。そしてテレビにミァハのものとおぼしき声明が流れる。

 「わたしたちは新しい世界をつくります。これから一週間以内に誰か一人以上殺してください。もしあなたが他の誰かの命を奪うことを躊躇したら。そのときにはわたしたちはあなたたちを容赦なく殺します。わたしたちはボタン一個でそれができるのです。」その声明が流れるやいなや、テレビキャスターは自分の右眼にペンを突き立て自死した。御冷ミァハは生きているのか、ミァハとは何者か。人々の意思が失われる前にトァンは何を見るのか。

 長々とストーリーを書いてしまった。作者は、手の切れるような鋭い文章を駆使して、この物語で追求する。幸福な社会とは何か、人とは何か、個人とは何か、意識とは、意思とは、心とは何か、生きているとは何かを。甘さのかけらもない。自分の死をいつも思っていたからだろうか。

 伊藤計劃という作家がもういない、ということが悲しくてならない。もっと書きたいことがあっただろう。もっと彼の世界にダイブしてみたかった。