本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『「死の舞踏」への旅 踊る骸骨たちをたずねて』小池寿子 著

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 『「死の舞踏」への旅―踊る骸骨たちをたずねて

小池寿子著

中央公論社

2,310円

 生きていれば死は日常。滅びは生活の一部。この忘れがちだがあたりまえなことを、人々が常に考えていた時代がヨーロッパにあった。「メメント・モリ(死を思え)」の言葉とともに15世紀、中世末期に最高潮となった。そのとき生まれた「死の舞踏」と呼ばれる絵や図像、詩が今日まで残っている。赤ん坊も若者も老人も、聖職者も貴族も貧乏人も、うじ虫に喰われぼろをまとった骸骨たちとならんでそぞろ歩き、踊る。どんな人間にも死は平等に訪れる、どんな人間も死の運命には無力だ、とそれは語る。

 人々が死に魅入られたのは、14世紀に始まるペストの大流行やフランスとイギリスの百年戦争による大勢の死と、加えてカトリック教会の長たる教皇がローマとフランスのアヴィニョンにそれぞれ分かれて立つという教会と政治の危機によって中世ヨーロッパキリスト教社会が崩れてきたせい、とされている。この本の著者、小池寿子は美術史家。若い頃、死の舞踏の痕跡が残る地を訪ね歩き、長年研究してきた。この本で、著者は再び死の舞踏を訪ねて旅をする。

 「いくら生を謳歌しても人はいつか死にゆくもの。それが定めというものさ」。

 死の舞踏と名付けられた絵図が描かれたはじめは、15世紀のパリ、サン・ジノサン墓地を囲む回廊だったといわれる。サン・ジノサンというのは、つまりジノサンとはイノセントすなわち幼児の意味で、新約聖書によるとイエス・キリスト誕生の時、救世主の誕生を知ったユダヤヘロデ王が恐れのあまりにベツレヘムの2歳以下の幼児すべての殺害を命じ、殺された子どもたちは最初の殉教者となった、という話から名付けられたところだ。死の舞踏の回廊は今は残っていないが、当時の様子は木版本『死の舞踏』によってわかる。死者と生者の舞踏行列、死体に向かって語る説教師。生を善く終えるにあたり、死の尊大さを心に留めよ、と。

 著者は、本や教会の壁画などに描かれた死の舞踏をたずねてブリュッセル、ベルリン、プラハほか各地を旅する。そして旅そのものが人生であり、死の舞踏を踊ることなのだ、と感慨を深める。

 さまざまな病いを克服した現代でも、人の寿命を定める運命の女神の力にはあらがえない。死は人と共にある。それをいつも意識することが生きること。

(掲載:『望星』2010年8月号、東海教育研究所)