本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『寡黙なる巨人』多田富雄 著

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寡黙なる巨人 (集英社文庫)

多田富雄

集英社

単行本 1,575円

 今年4月、免疫学の権威、多田富雄氏が前立腺がんで亡くなった。享年76歳。

 実は多田氏は前に1回「死んで」いる。2001年、脳梗塞で倒れたのだ。死の国を数日さまよったあげく、目を覚ました多田氏は自分の体から多くのものが失われているのに気づいた。右半身が全く動かない。声がでない。舌とのどの麻痺のため水すらも飲むことができない。

 多田氏は若いころから免疫学者として実績を順調に積み、1971年、「サプレッサーT細胞」を発見し賞賛と注目を浴び、世界の学会で活躍した。一方、免疫学を哲学の域まで広げた『免疫の意味論』ほか科学と人文学をつなげる多くの本を書いた。さらに能をたしなみ、アインシュタインを描いた新作能「一石仙人」を作った。

 なのに64歳、定年退職し、好きなことをやろう、と思っていたやさきに倒れ、動くことも食事もままならない体になった。挫折のない人生をおくってきた多田氏の絶望は深かった。何度も死を考えた。だが多田氏の多彩な頭脳は失われていなかった。リハビリを受け、介助があれば少し歩けるようになり不明瞭ながら言葉になる声をだせるようになった。多田氏は自分の中に失われた機能の代わりに新しい自分「鈍重な巨人」が目覚めつつあるのを感じた。ワープロの使い方を覚え、動く左手で著作を精力的に書いた。

 2006年、小泉政権下で厚生労働省保険診療報酬改定を発表し、リハビリ診療について保険診療のできる期間を180日に制限した。これに多田氏は、リハビリ制限は弱者切り捨てだ、と怒り、反対意見を新聞に投稿した。賛同者は44万人にのぼり、反対署名を厚生労働省に提出した。この経緯は、多田氏の著書『わたしのリハビリ闘争』に詳しい。

 多田氏の中の「鈍重な巨人」は多田氏を変え、弱者へ共感を生んだ。挫折は再生の始まり。

(掲載:『望星』2010年11月号、東海教育研究所)