本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『バウドリーノ』上・下、ウンベルト・エーコ 著、堤 康徳 訳

61nbtvcgiwl_sl500_aa300__2 612hoibquul_sl500_aa300__2

バウドリーノ』上
ウンベルト・エーコ
堤 康徳 訳
岩波書店
各巻1,995円

小説『薔薇の名前』で世に名を知らしめた記号学者、小説家ウンベルト・エーコの邦訳最新小説。中世ヨーロッパを舞台に史実と幻想が踊る冒険物語。かんたんに言ってしまえばホラ話。
 時は1204年、ヴェネツィアに支援された西欧諸国からなる第4回十字軍が東欧ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させた。ビザン ツ帝国の書記官長で歴史家のニケタス・コニアテスは西欧人に蹂躙されていく都を逃げ惑うなか、バウドリーノと名乗る不思議な男に助けられる。逃避行のあい だ、ニケタスはバウドリーノの嘘とも真ともつかない遍歴の話を聞くことになる。
 バウドリーノは語る。自分はイタリア北西部の農民の子だった。14歳のとき、軍を率いてドイツから来た神聖ローマ皇帝フリードリヒ赤髭王(バル バロッサ)に語学と嘘つきの才を見いだされ、皇帝の養子として学問への道を開かれた。そして師、司教フライジングのオットーが語った話が彼の一生を決め た。エルサレムよりはるか東に司祭ヨハネが治めるキリスト教の国がある、と。
 バウドリーノは考えた。皇帝フリードリヒが司祭ヨハネと同盟を結べば皇帝の地位は西欧でゆるぎないものとなる。かくて彼は、司祭ヨハネから皇帝に宛てた親書を、歴史書と聖書を元にきらびやかな嘘で飾って捏造した。これが「司祭ヨハネの手紙」として歴史を変える…。
 この物語は史実に基づいている。ニケタスや皇帝フリードリヒなど多くは史実の人物だ。「司祭ヨハネの手紙」も残っており、西欧の「プレスター・ジョン伝説」のもととなった。
 やがてバウドリーノとゴロツキ仲間たちは司祭ヨハネに出会うべく、はるか東方に旅立つ。描かれている東の地は、中世ヨーロッパ人の信じていた世界観による荒唐無稽な異世界。石が流れる河。一本足でぴょんぴょん走る生き物。ピグミー。ユニコーンをつれた美女。
 嘘によってつくられる歴史。歴史のためにつくられる嘘。
 エーコは、歴史と想像のなかを嘘の名人バウドリーノを泳がせ、幻想の歴史の世界を創りあげた。歴史を知らなくても充分楽しめる物語だ。
(『望星』2011年2月号、東海教育研究所より加筆)