本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『エル・ネグロと僕 剥製にされたある男の物語』フランク・ヴェスターマン 著、下村 由一 訳

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エル・ネグロと僕 剥製にされたある男の物語
フランク・ヴェスターマン
下村 由一 訳
大月書店
2,520円

 オランダのフリージャーナリスト、フランク・ヴェスターマンは1983年当時大学生。スペインを旅行していた。が、カタロニア地方の博物館であるものを見て背筋が凍りついた。小さな黒人の剥製。エル・ネグロ、この黒人とよばれていた。エル・ネグロはなぜヨーロッパでただの黒人として展示されることになったのか。彼はエル・ネグロの数奇な道を探るうちに、ヨーロッパとアフリカ、白人と黒人の今も続くゆがんだ関係に気づく。

 大学で熱帯農業を専攻したフランクはジャマイカとペルーで開発援助に携わった。そこで、ヨーロッパ式の農業技術は現地の人々のつながりと暮らしに根ざした農業には何の役にも立たないと知った。彼は開発援助の仕事を辞め、新聞社に勤めた。調べたところエル・ネグロは一九世紀にフランスの剥製業者がアフリカ南部から持ち帰ったブッシュマンの死体らしかった。その剥製をスペインの獣医が町の博物館に収めた。エル・ネグロは白人の町のマスコットになった。 

 フランクは紛争中のアフリカ西部の国シエラレオネを訪ねる。シエラレオネは18世紀後半、ヨーロッパでの奴隷解放で父祖のアフリカに渡った黒人が建設した。だが19世紀、ヨーロッパ各国はアフリカ大陸をケーキのように切り分け植民地にした。黒人は白人より劣った種とされた。独立後もシエラレオネやアフリカの国々では民主主義は実を結ばず、内戦が絶えない。

 エル・ネグロの故郷らしき南アフリカアパルトヘイトを廃止したその国で、フランクは昔、自分の国オランダから入植した人々の末裔であるジャーナリスト、アンキー・クロッホに出会う。彼女は黒人と白人の違いを乗り越えるため黒人の考え方を身につけようとしていた。クロッホは言う。大半のヨーロッパ人のように未来志向で物事を考えるか、それとも大半のアフリカ人のように記憶を中心に人生を組み立てるか、と。つまりアフリカでは祖先の記憶が根本で死者は生命の一部なのだ。

 フランクはエル・ネグロの旅の終わりまで見届ける。そして自分たちヨーロッパ人は自分たちの文化が優れているという人種主義から、世界の他の人々に我々のようになれと押しつけているのではないか、と自らに問う。エル・ネグロとフランクの旅路から見える問題は山ほどある。

(掲載:『望星』2011年5月号、東海教育研究所に加筆訂正)