本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『いまファンタジーにできること』アーシュラ・K・ル=グウィン 著、谷垣 暁美 訳

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いまファンタジーにできること
アーシュラ・K・ル=グウィン 著
谷垣 暁美 訳
河出書房新社
2,100円

  現在ファンタジーと呼ばれる物語は、かつては神話や昔話であり誰もが聞いて育ったものだった。そこから小説が生まれたのだが、近代、小説は現実の人間を描いてこそ良しとされるようになった。ファンタジーは子どもだましと見なされて児童文学に押し込まれた。しかし『ハリー・ポッター』シリーズのヒットで、ファンタジーは稼げるモノと目をつけられ、小説や映画などで量産されることとなった。それでもファンタジーを子どものものと決めつける評論家や教師は多い。

  この本の著者アーシュラ・K・ル=グウィンは長きにわたってファンタジーを紡ぎ続けている作家。だが代表作『ゲド戦記』シリーズは児童文学とも言われ、もう一つの代表作『闇の左手』はSFとも言われている。ル=グウィンは両方とも特定の年齢層に向けて書いていない。 

  ファンタジーとは何だろう。よくあるのが、登場人物たちは白人で舞台は中世ヨーロッパのような世界、主人公たち善の側が敵の悪の側と戦い勝利する、というもの。ファンタジーの金字塔『指輪物語』の影響だ。ル=グウィンは、この名作と作者トールキンを讃えてやまないが、ファンタジーとはそれだけではなく、想像力による文学、と広く定義する。書き手はこことは限らない世界と人間とは限らない主人公たちを持てる想像力を駆使して生みだし、読み手はそれを想像力を使って頭に再構成する。『シートン動物記』のような動物が自然を生きる現実を描いた物語でも想像力は必要だ。読者は他者の思考と心情を想像する。想像の記憶が子どもには強く刻み込まれる。

  物語は子どもにメッセージを示したりしない。作家がさしだすのは物語だけ。物語のなかに、とりわけファンタジーのなかに若い人は自分自身の道を見いだす。それならきっと大人でもファンタジーに見いだすものはある。

(掲載:『望星』2012年1月号、東海教育研究所))