本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『歴史が後ずさりするとき 熱い戦争とメディア』ウンベルト・エーコ 著、リッカルド・アマデイ 訳

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歴史が後ずさりするとき 熱い戦争とメディア
ウンベルト・エーコ 著
リッカルド・アマデイ 訳
岩波書店 3,045円

 哲学者、中世研究者および著書『薔薇の名前』で有名な小説家でもあるウンベルト・エーコ。この本は彼が2000年から2005年にイタリアの雑誌に連載した記事をまとめたものだ。

 おりしも9.11テロからアメリカがアフガニスタンイラクへの攻撃を呼びかけ、戦争を始めたころ。熱い戦争が再び始まった。不寛容がアメリカをつつみ、政治家や民衆が「我々と同じ考えでないならおまえは敵だ」と、極端でヒステリックな愚言を言う。エーコは、まるでキリスト教徒とイスラム教徒がぶつかった中世の十字軍の時代にもどったようだと皮肉とユーモアを交えて辛辣に批判する。 

 かつて戦争とは敵国にいるのは敵国人、自国にいるのが味方で、勝つためには大量の犠牲者がやむをえないものだった。しかし現在は敵国にこちらに味方し自分の政府に反対する人々がおり、こちらにもこの国に生まれた敵国出身の人々がおだやかに暮らしている。かつ民衆は味方の大量の犠牲の上に立つ勝利を認めない。現代において戦争に勝者などいないのだ。

 エーコには現代世界へのあきらめも見える。それでも学者の使命についてイタリアの思想家ノルベルト・ボッビョの文章を引用して書く。

 「『動くんじゃない、すべては丸く収まるのだから』をモットーとする楽観主義者と、『ともかく、やるべきことをやるのだ。たとえ物事がこれからますます悪くなるとしても』と反論する悲観主義者のうち、私は後者を選ぶ。世界がよくなる保証も要求せず、褒賞はおろか認知さえ望まず、善意を尽くす人間を、私は高く評価し尊敬する。よき悲観主義者だけが先入観なしに、確固たる意志をもって、謙虚な気持ちで、そしておのれの任務に全身全霊を捧げて行動できる状態にあるのである。」

 これが「歴史を知る者」としてのエーコの仕事の原動力だ。

(掲載:『望星』2013年5月号、東海教育研究所)