本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『図書館に通う 当世「公立無料貸本屋」事情』 宮田 昇 著

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図書館に通う 当世「公立無料貸本屋」事情
宮田 昇 著
みすず書房
2,310円

 退職後、若いころ味わった読書の楽しみを思い出し、近所の図書館に通うようになった年配者は多い。この本の著者、宮田昇氏もその一人だ。だが宮田氏はただの読書好きではない。編集者、洋書店勤務を経て著作権事務所を設立。その一方「内田庶(うちだ ちかし)」のペンネームで児童向け読みものを執筆、また外国の推理小説やSF小説を児童向けに翻訳した。小学校や中学校の図書室や図書館の児童コーナーにあったシャーロック・ホームズシリーズの多くは宮田氏の手によるものだ。この本で、ただものではない本のプロ宮田氏は、首都圏の公立図書館に通い本を探し借り読む日々で気づいた現在の公立図書館の姿について語っている。

 宮田氏は図書館で有名作家の初期作品集を取り寄せたり、エンターテイメント小説の新刊を読み最近の作家のレベルの高さに驚いたりして読書を楽しんでいる。しかし同時に図書館の本の汚さに辟易し、運営する地方自治体が「ただで本を貸してやる」と思っているのか、だから図書館の予算が減らされ汚れた本を買い直すことができないのではないか、と想像する。また出版界が公立図書館を「公立無料貸本屋」と揶揄し本の売上を妨げるものと嫌うことへの配慮もあって同じ本を複数購入しないのだろうと推測する。

 図書館は「公共無料貸本屋」であっても、必要な知のインフラである。そして読書は、教養であると同じくらいに娯楽である。おりしも宮田氏の住まう県では、財政難を理由に県立の2つの図書館の縮小と廃館が検討されていた。宮田氏は願う。図書館にいま必要なのは読書指導よりも読書情報の提供。出版社は図書館と互いに協力して本の情報を提供し、図書館は本の情報をできうる限り利用者に知らせるべきだ。図書館は活字離れを防ぐ役割を果たしていることはあっても、活字離れを増やしている現実はない。出版社は「公共無料貸本屋」として図書館を貶め、その予算を地方公共団体が減らすのに力を貸さないでほしい。

 また、宮田氏は願う。「さらに、これからのころでもうひとつお願いがある。それは図書館通いで知った多くの優れたエンターテイメントを書く日本の作家たちに、子どもたち、小学校上級から中学生が娯(たのし)める小説を書いてもらいたい。読書は娯しみなだけでなく、そこから想像力をかきたてさせるものがある。人の喜びも悲しみも痛みも深く知ることができる。携帯やその他の端末でも読めるジュナイブル・エンターテイメントは、かつてのものとはちがうかもしれない。また親たちの忌み嫌うものかもしれない。しかしそれを経ることで、読書の幅は広がるはずである。学校図書館では学校教育を補充する調べ物や読解力の向上に、あるいは文学性の高いものに重点をおき、指導している気がしてならない。」

 なんと、このただものではない本の宮田氏は学校図書館ライトノベルをも視野に入れているようだ。さすがのやわらかあたまだ。

 公立図書館は地方自治体にとって利益生まない鬼っ子だった。だが住民にとって不可欠なインフラとなったいま、再構築がせまられている。

(掲載:『望星』2013年8月号、東海教育研究所に加筆・訂正)