本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『華氏451度〔新訳版〕』レイ・ブラッドベリ 著 / 伊藤典夫 訳

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華氏451度〔新訳版〕
レイ・ブラッドベリ
伊藤典夫
早川書房(ハヤカワ文庫SF)
929円

 『華氏451度』。アメリカ文学の幻想の魔術師レイ・ブラッドベリの代表作にして、現代社会に警鐘を鳴らす問題作。旧訳版より読みやすくなっている。

 華氏451度は紙の燃えだす温度。現実に似た世界。モンターグは“昇火士(ファイアマン)”〔旧訳では“焚書官”〕。本を焼きつくすのが仕事だ。本は忌まわしく邪悪なもの。人々はいつも家の大型スクリーンに映るテレビショーを観て笑い、超小型ラジオを耳に入れて音楽を聴き愉快に暮らしている。かんたんに得られる刹那的な楽しみや情報だけしか目に入らず、過去を記憶する間もなく忘れる。辺りをつつむ戦争の気配も気にしない。

 モンターグはわずかな人々が隠し持っている本を燃やす仕事を愉しんでいた。だが純心な少女が投げかけた社会への素朴な疑問に心を動かされ、“昇火”の現場で、自ら蔵書とともに焼かれて死んだ老女におののいて、本を家に持ち帰ってしまう。それを知った老学者は教える。

「昇火士などほどんど必要ないのだよ。大衆そのものが自発的に、読むのをやめてしまったのだ。」

多くの人々が権力者に強いられてではなく自ら本を読まないことを望んだ社会で、本の言葉、本の語ることにのめり込んでいくモンターグは今度は自分が昇火士に追いつめられる。

 著者ブラッドベリは、この小説のテーマは「文化の破壊」だと言う。本は物語や思考を距離や時代をこえて届ける記憶の船。文化をつくる一片。本を読むことは楽しいばかりではなく、悲しみを呼び起こされたり苦悩に沈んだり深い思考が必要になったりする。それを怖れ厭う人々も現実にいるのだ。

電子記憶媒体やインターネットが普及した現代で、本はもはや唯一の記憶の船ではない。だが、記憶を守るために失うわけにはいかないものだ。

(掲載:『望星』2015年1月号、東海教育研究所を加筆修正)