本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ沢渡 曜の書評ブログ

本が語ること、語らせること 青木海青子 著

本が語ること、語らせること
青木海青子 著
夕書房

 奈良県東吉野村の林に囲まれた古民家に「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」はある。閲覧席は座敷。座敷や庭で講演会やイベントを催すことも。大工さんが木の作った書架に本が収まっている。司書の青木海青子さんと歴史を研究しているキュレーターの青木真兵さん夫妻の私蔵の本だ。

 青木さん夫妻は6年前に東吉野村に図書館ルチャ・リブロを開設した。ふたりは都会で働いていた。海青子さんは大学図書館の司書、真兵さんは大学の研究者。そこでふたりとも心身ともに死にそうになり、死なないために東吉野村に引っ越し図書館を作った、のこと。来館者には自分の抱く感覚や発する言葉に正直で誠実な人が多い気がするそうだ。「考えることをやめない、得難い人とつながれる」場として図書館を作ってきたと、海青子さんは胸を張る。
 
 図書館ルチャ・リブロの司書席で、身近な人たちから寄せられた悩みに海青子さんと真兵さんは悩みに合った本で答える。悩みは心に引っかかってしょうがないこと。

 ある相談。新型コロナの感染者数が減ってきた時期、遠方の会議に出席することにした。だが参加者の一人が、オンラインで参加したい、と言ったことにモヤモヤを感じた。人によってリスクの感じ方は違うと頭では理解できる。でも自分と他人の感覚が違うことが心の奥にモヤモヤとなって溜まる。こんな自分に罪悪感を覚える。

 そこで海青子さんがあげたのが『ぼくはくまのままでいたかったのに……』という絵本。森に住むくまくんが冬眠しているあいだに木はすべて切り倒され、森は工場になってしまった。くまくんは工場長に工場へ連れて行かれ、ひげを剃らされて、工場で働かされることになる……。

 この物語はくまくんの側から読めば熊なのにかわいそう、となる。けれど海青子さんは、工場長の側からすると工場の労働者がひげを剃って働くのは正しいことなのだ、とも考える。人間同士でも、この両者くらい正しさが違うこともある。それを当たり前と考えてみたら、とアドバイスする。

 海青子さん自身も本に助けられてきた。子どもの頃から本は世界を見せてくれる窓だった。東吉野村に越して来る前、海青子さんは大怪我で半年ほど入院していた。そこで学生時代に読んだ『指輪物語』をじっくり再読した。海青子さんの心に迫ったのは登場人物たちの「疲労」だった。

 世界を支配する力をもつ指輪を火の山に投じて滅ぼす役目を担ったフロドは、過酷な道の途中で疲れて歩けなくなる。「わたしは疲れてへとへとだ。一つの望みも残っていない」とフロドはこぼす。誰しも疲れには勝てない。這うように進むしかないときときもある。生身の身体のままならなさを登場人物たちに見出せたことに、体が不自由だった海青子さんは救われたと言う。

 本に救われる、本で人を救う、本で人とつながる。図書館の理想の一つだ。最近の公共図書館は豪華な建物で集客数の増加を狙っている。それとは違う図書館の在り方を山村の図書館ルチャ・リブロは探っているようだ。

(掲載:「望星」2022年10月号、東海教育研究所)

 

 



 

亜鉛の少年たち アフガン帰還兵の証言 増補版 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著 / 奈倉有里 訳

亜鉛の少年たち アフガン帰還兵の証言 増補版
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著
奈倉有里 訳
岩波書店 

 タイトルの『亜鉛の少年たち』の亜鉛とは、ソ連軍が戦死者を亜鉛製の棺に入れて家族の元に送ったことから。

 ソ連は1979年、アフガニスタンの社会主義政権を援助することを掲げ、現地に軍を派兵して反政府勢力と戦った。長引く戦闘はソ連の財政に大きな負担をかけ、1989年に撤退。この敗北はソ連政権の屋台骨を揺さぶる一因となった。

 ソ連の一員だったベラルーシ出身の作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ。第二次世界大戦を女性たちが語った『戦争は女の顔をしていない』など小さき人々の記憶と戦争を書いてきた。

 これは小さき人々が語るアフガニスタン戦争だ。アレクシエーヴィチにとって大人になってから起きた同時代の戦争。もう戦争のことは書きたくないと思いつつ、でも黙っていることなどできず取材を始めた。1988年、アフガニスタンのソ連軍基地に赴いた。兵士たちは敵を殺し味方を殺されるのが日常となっていた。若いアフガン人の女性が殺された子供の前で傷ついた獣のような声で泣いていた。

 著者はたくさんのアフガン帰還兵たちと兵士の母親たちを取材し話を聴いた。ある母親は嘆く。生きて帰ってきた息子が殺人を犯した。向こうで人が変わってしまった。人殺しを教えられ人を殺すことに抵抗がなくなってしまった。あの子をあそこに送り込んだ人間は裁かれないのに、と。

 別の母親は、いきなり亜鉛の棺を持ってこられ、息子さんは戦死しました、と言われた。棺は開かないようになっていて遺体を見ることもできなかった、と。

 帰還兵たちは怒り、苦しむ。手や足など体の一部を失ったり何らかの障害を負ったりした人、そうでない人も皆、昔の自分には戻れないと言う。

 アフガニスタン行きに志願しろと言われ、断る選択肢などなかった。上官たちに虐待され自殺した仲間もいた。ろくな食料や装備もなく、銃弾を売って現地の店で買った。撃ってから殺したのが女子どもだったと気づいた。父や祖父の戦争での勝利の体験を聞いて育った。社会主義の理想を現地の人に説いても受け入れられなかった。大勢の仲間が無惨に死んでいった。俺たちは英雄なのか、人殺しなのか。

 この本の底本はペレストロイカ後の1991年に発行された。だが取材を受けた何人かは嘘を書かれたと著者に対して訴訟を起こした。ソ連から独立したばかりのベラルーシで、彼らはソ連時代の権力に怯えたのだ。増補版ではこの訴訟について、裁判での証言や、さまざまな人が寄せた手紙などが付け加えてある。

 現在もベラルーシではソ連時代の権力が続いているため、著者アレクシエーヴィチは祖国で暮らすことができないでいる。ソ連解体後もロシアでは戦争が絶えることがない。今のウクライナとの戦争でも、膨大な数の戦死者が亜鉛の棺に入れられ送り出されているのだろうか。歴史は繰り返さないが、歴史を知らない人間たちが過ちを犯す。

(掲載:「望星」2022年9月号、東海教育研究所)

 

 

 

アレクシエーヴィッチとの対話 「小さき人々」の声を求めて 

アレクシエーヴィッチとの対話 「小さき人々」の声を求めて
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ / 鎌倉英也 / 徐京植 / 沼野恭子 著
岩波書店

 東京オリンピック出場のため来日したのベラルーシの選手がポーランドへ亡命した。突然の帰国命令の背後にベラルーシ政府がいるのを恐れたためだった。

 ベラルーシはかつてソ連の中の一国だったが、ソ連崩壊後、独立した。その後、1994年からルカシェンコ大統領が政権を握り反対する人々を弾圧し続けている。

 ベラルーシ出身の作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ。『戦争は女の顔をしていない』『チェルノブイリの祈り』『セカンド・ハンドの時代』など、ソ連のために生きた市井の「小さき人々」の苦悩と悲しみの言葉を集めてきた。2015年、ノーベル文学賞を受賞。
 
 この本ではNHKディレクター・鎌倉英也、作家・徐京植、ロシア文学研究者・沼野恭子の3人が、アレクシエーヴィッチと対話しながら一連の作品をたどる。

 アレクシエーヴィッチは1948年にベラルーシ人の父とウクライナ人の母の間に生まれソ連人として育った。ロシア文学、特にドストエフスキーの影響を深く受けている。彼女は1984年に『戦争は女の顔をしていない』で第二次世界大戦に兵士や看護師として従軍した女性たちの生の声を本にした。この本ははじめ、戦争の英雄を書いていない、との理由で発禁にされた。その後『ボタン穴から見た戦争』で第二次世界大戦の中の子供を証言から描いた。さらに自分たちの政府が手を染めた戦争にも目を向ける。ソ連のアフガニスタン戦争を『亜鉛の少年たち アフガン帰還兵の証言』として兵士の声を集めて書き、自分たちの国が他の国に侵攻した罪をあらわにした。

 1986年のチェルノブイリ原発事故。風向きのためベラルーシは多量の放射線にさらされた。アレクシエーヴィッチは1997年に『チェルノブイリの祈り』を発表。ある女性は消防士の夫が原発事故の消火の際、重度に被爆し死んでいくのを看病した。ある人々は危険地域内の我が家から離れがたく戻ってきた。戦火もないのに見えない死が訪れる未知の戦争だ。

 1991年、ソ連崩壊。自由の時代が来るかと思いきや、来たのは金の時代だった。人々はモノに翻弄され社会は荒れはてた。ソ連時代の理想が壊されて絶望する人も少なくなかった。超大国ソ連の時代を懐かしみ力強い指導者に頼る声が大きくなった。アレクシエーヴィッチが2013年に世に出した『セカンド・ハンドの時代』は人々の過去を懐かしむ言葉がつまっている。そしてソ連時代の独裁から変わらない政府。自由とは何かという問いを突きつける。

 アレクシエーヴィッチは2016年に福島を訪れた。チェルノブイリのときと同じ感想を抱いたという。自分たちの社会と同じく日本の社会には抵抗の文化がないと指摘した。人々はただ、善き皇帝、善き役人、善き首相が現れるのを待っている、と。

 現在、ベラルーシ政府の圧力を避けてドイツで暮らしている。この本は彼女が長年取り組んできた小さき人々の連作を一覧するために読んでも良いだろう。


掲載:『望星』2021年11月号(東海教育研究所)に加筆訂正。

 

手づくりのアジール 「土着の知」が生まれるところ / 青木新兵 著

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手づくりのアジール 「土着の知」が生まれるところ
青木新兵 著
晶文社

 民主主義国家なら、人が皆、心身ともに健康に生きられるのが「ふつう」だ。だが、このところ皆が「ふつう」に生きるのはむずかしくなっている。「ふつう」というのは厳しい条件をくぐり抜けた人々の狭い輪になってしまった。「ふつう」でない人は生きづらい。

 著者・青木新兵と海青子夫妻は、かつて神戸の都市部に住んで働いていた。著者は西洋古代史を専攻して大学院博士課程を終え、大学非常勤講師や塾講師をしながら論文作成など研究者としての実績づくりに追われていた。病気の苦しみに耐えながら。妻は大学図書館で司書として働いていたが、よその大学に転職。しかし配属先は図書館ではなかった。妻は職場での軋轢のためか病気になり休職、そして入院することとなった。「ぼくたちは社会の中で一度『死んだ』のだと思っています」と著者は語る。

 2016年、著者夫妻は奈良の山の中の東吉野村に家を借りて引っ越した。そこに蔵書を並べ、人文系私設図書館ルチャ・リブロを開いた。著者は障害者就労支援事業所で働き、大学で講師をし、村共同の仕事をし、ルチャ・リブロのキュレーターをしている。妻はルチャ・リブロを営みながら布小物やアクセサリーを作っている。
 
 ふたりはルチャ・リブロを「アジール」として作ることを試みた。「アジール」とは時の権力からの避難所のこと。宗教や慣習上の理由から聖なる場とされ、そこに入れば追求から逃れることができる。例えば、離婚したい女性が駆け込む縁切寺。山は聖地とされたため、古来から為政者の権力が及ばない「アジール」だった。
 
 今の日本は小さく囲い込まれた都市の生活が「ふつう」とされている。でも、その周辺の山村には都市の生活とは違う、自然の流れに合わせた土着の生活がある。著者は都市から山へ逃げてルチャ・リブロという「アジール」を作り、都市と行き来していろいろな仕事をする、という軽やかな暮らしをおくることで都市の「ふつう」に挑む。この本で著者は同年代の人文系研究者と対話している。考えを語り合い共有する人々の輪を広げていく。今の「ふつう」に対する「知のアジール」が山の土着の生活の中から作られる。
 
 著者は、都市の「ふつう」になじめず漂泊する人物として、映画「男はつらいよ」の寅さんに惹かれている。ときどき温かな家族が住む故郷柴又に帰ってくるものの、真っ当に働けだの落ち着いて家庭をもてだの言われ、喧嘩をして飛び出してしまう。そして旅に暮らすが、気が向くといつの間にかひょっこり帰ってくる。今はこういった漂泊者が存在できない時代になってしまった、と考える。
 
 これまで若い研究者は大学に定職を得るために身をすり減らしてきた。しかし著者のような、中央の権威に寄らず自分たちで新しい知の場を作ろうとする人が出てきた。新しい柔軟な知が野から育っている。若い人々の挑戦に期待しよう。

掲載:『望星』2022年2月号(東海教育研究所)に加筆訂正

 

 

 

 

『カカ・ムラド ナカムラのおじさん』ガラフラ 原作 / さだまさし、他 訳・文


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カカ・ムラド ナカムラのおじさん

ガラフラ 原作
さだまさし、他 訳・文
双葉社

 2019年12月、アフガニスタンで長年に渡って住民に尽くし敬愛されてきた医師・中村哲氏が、現地東部の都市ジャララバードでスタッフとともに何者かに殺害された。アフガニスタン政府から名誉市民権を贈られたばかりだった。
 現地の人々は深い悲しみに沈んだ。中村氏の肖像に「あなたはアフガン人として生きアフガン人として死んだ」「中村さんごめんなさい」など言葉をそえて追悼した。

 中村氏は住民から親しみをこめてカカ・ムラドと呼ばれていた。アフガニスタンで子供の絵本を発行・配布している現地NGOガラフラは、中村氏について子供たちに知ってもらおうとカカ・ムラドの絵本「カカ・ムラド ナカムラのおじさん」と「カカ・ムラドと魔法の小箱」を作った。

「カカ・ムラド ナカムラのおじさん」は日本で例えると小学校高学年以上の子供向けに中村氏の功績を伝える物語。緑の木々の中を流れる美しい用水路を見ながら、この豊かさを贈ってくれたカカ・ムラドのことを父が娘に語る。

 中村氏がアフガニスタンと国境を接するパキスタン北西部の都市ペシャワールの病院に赴任したのは一1984年だった。日本ではNGOぺシャワール会が活動を援助した。中村氏はハンセン病などさまざまな病気に苦しむ人々に直面した。当時、ソ連アフガニスタンに侵攻し多くの難民がパキスタンに逃れていた。

 1991年、アフガニスタンの山岳部に診療所第1号を開設した。アフガニスタンではソ連軍が撤退し、国内勢力同士の内戦になっていたが、イスラム原理主義勢力タリバンが首都カブールを陥落させた。

 2000年、アフガニスタンを大干ばつが襲った。人口の半分以上が水不足に苦しみ約100万人が餓死の危機にあった。中村氏たちは「医療よりも水」と井戸を掘り始めたが簡単ではなかった。さらに翌年のアメリ同時多発テロに対するアフガニスタン報復爆撃に阻まれた。

 2003年、中村氏らPMS(平和医療団・日本)は現地の人々と合議し、用水路の建設に乗り出した。大河の水を村々に引く。春の雪解け水は恵みだが、ときに洪水となる。それに耐えられる、なおかつ現地の材料で容易に復旧できる工法を探し、中村氏は故郷、福岡県に遺された江戸時代の堰を研究した。苦闘の末、マルワリード用水路など、いくつもの用水路が作られた。用水路に沿って柳の木が植えられ砂漠は緑の大地となり豊かな農作物に恵まれた。「カカ・ムラド」の物語の緑と水の豊かな風景はこうして作られた。

 もう一つの絵本「カカ・ムラドと魔法の小箱」はもう少し小さな子供向けの物語。お父さんとお母さんに世界一の宝物をあげたい幼い男の子に、東の果ての国から来た魔法使いで男の子の大切な友だちカカ・ムラドがさまざまな助言をする。

 中村氏が死んでも、アフガニスタンで意志は用水路として生き、存在は知恵ある魔法使いとして語られる。それは失われることはない。

掲載:『望星』2021年10月号(東海教育研究所)

『宿借りの星』酉島 伝法 著

宿借りの星
酉島 伝法 著
東京創元社

 SF小説の楽しさは、舞台はどんな世界で、主人公はどんな存在か、読み進むごとにわかってくることだ。むろん、主人公は人間でなくてもいい。

 「頭の奥まで霞んでいるようだった。」と言う、ひとり語りから物語は始まる。生き物らしきものが移動していく描写。だが幻らしい。今、語り手は砂漠にひとりでいる。語り手は人類ではなく4本の脚、2本の腕、4つの眼をもつ外骨格生物のようだ。

 その語り手で物語の主人公は、異星の生物マガンダラ。御惑惺様(みほしさま)と呼ばれているこの星では、御侃彌様(おんかみさま)という巨大な長が、たくさんの種蘇俱(しゅぞく)を従える俱土(くに)がいくつかある。マガンダラは大柄で強い種蘇俱ズァンググ蘇俱(ぞく)。マガンダラは、オラツラワ様を御侃彌様といただくの俱土に生まれ育ち、いっぱしの組頭になった。だが、本人にもわからないまま親分方から不興を買うようになった。そして決闘で義兄弟を死なせるはめになり、追放され無宿者となった。それで砂漠をさまよっていたのだ。なぜこんなことになったのか。皆が変わってしまったのだろうか。

 マガンダラは旅の途中で、4本の腕と2本の脚をもつ小さく弱いラホイ蘇俱のマナーゾと友情を結び、義兄弟の盃を交わす。かくて物語は無宿者と義兄弟の股旅物となる。ふたりはマガンダラの知己の親分を頼ろうと、他の御侃彌様が治めるよその俱土に入り込んだ。そこで再会した親分はふたりにとんでもないことを話す。昔、種蘇俱たちが殲滅した卑徒(ひと)つまり地球人類が復興を企み、密かにさまざまな俱土を侵略しているというのだ。

 一方、御惑惺様にひとつだけある海の底。聖なる領域として種蘇俱は近づかない。そこで、かつての地球人類は記憶だけをおぼろに保って全く違う生物に変容していた。無数の人類のなれの果ては、さまざまな生物に寄生しながら、星の奪還のために地上をめざす……。

 異形の生物たちの人間くさい任侠物語が意外とわかりやすい造語で語られていく。だが、あまりに多様な生物を住まわせる御惑惺様とは何なのだろう。読むほどに謎が深まる。人間社会が嫌になった人にお勧めかも。

 掲載:『望星」2019年8月号(東海教育研究所)に加筆訂正。

 

『蛾のおっさんと知る衝撃の学校図書館格差』山本みづほ 著

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蛾のおっさんと知る衝撃の学校図書館格差 
  公教育の実状をのぞいてみませんか?』
山本 みづほ 著
郵研社

 大昔のまま、いつも扉に鍵がかかっている学校図書館がある。一方で非常に少ないが、毎日、担当の教職員がおり、授業を行う学校図書館もある。このような学校図書館の格差は、各学校や自治体が学校教育に図書館を活用しようと考えるか否かによって生じている。学校図書館を運営する職には、正規教員がなる司書教諭と図書館専任の学校司書がある。多くの学校や自治体は学校図書館活用に消極的なため、この二職とも不遇に扱われていることが多いのが現状だ。

 この本の著者、山本みづほさんは長崎県佐世保市を中心に公立小中学校の国語科教員をしていた。本が好きで教員免許といっしょに司書教諭資格を取得し学校図書館の運営に働いてきた。だが担任を持ち、教科の授業をし、部活動の顧問を二つ掛け持ちしながらはきつい。

 今日も学校図書館できりきり舞いに働いていた山本さんは、ヘンな笑い声を聞いた。カウンターには、茶色い羽根をつけた全身白タイツに校長先生のようなおっさん顔をした蛾がいた。この本の表紙のイラストのような。

 「蛾のおっさんなのだ」。

 まあ山本さんは疲労困憊していたし、有象無象の本のある図書館に、あまりかわいくはないが妖精さんが現れても不思議ではない。

 聞けば蛾のおっさんは、いろいろな学校の図書館を見てまわっていると。そして学校図書館の格差を嘆く。

 「子どもたちが通う学校によって不利益を被るのは腑に落ちぬのじゃ」。

 二人は日本の学校図書館について、しみじみ語り合う。

 1953年に制定された学校図書館法で「学校図書館の専門的職務を掌らせるため司書教諭を置かなければならない」となった。だが専任・専門の職ではなく「教諭を持って充てる」としたため司書教諭は正規教員の充て職になってしまった。さらに「当分の間置かないことができる」となった。この当分の間は、なんと2003年まで続いた。現在、司書教諭はほとんどの学校に置かれている。しかし司書教諭でも担任・教科・部活など教員の仕事は減免されるわけではないため、学校図書館まで手がまわらない。学校図書館の運営は図書委員頼りのところも多かった。

 この状況を変えるために、2016年の学校図書館法附則で、学校図書館には学校司書を置くよう務めなければならない、となった。だが、あくまで努力義務のため、学校司書はまだまだ置かれていない学校もあり、また置いても週に数日短時間に限っている学校が多い。毎日、児童生徒のいる時間に学校図書館を開館し司書教諭との協同で授業を行うのが、学校図書館の理想なのだが。

 山本さんと蛾のおっさんは夢見る。学校司書が正規専任の専門職となり、学校図書館で毎日、司書教諭と楽しい学校図書館を作るのを。子どもたちのための学校図書館を考えて、今日も蛾のおっさんは笑いながら飛んでいるのだ。

掲載:『望星』2020年3月号(東海教育研究所)に加筆、訂正。