本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

アレクシエーヴィッチとの対話 「小さき人々」の声を求めて 

アレクシエーヴィッチとの対話 「小さき人々」の声を求めて
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ / 鎌倉英也 / 徐京植 / 沼野恭子 著
岩波書店

 東京オリンピック出場のため来日したのベラルーシの選手がポーランドへ亡命した。突然の帰国命令の背後にベラルーシ政府がいるのを恐れたためだった。

 ベラルーシはかつてソ連の中の一国だったが、ソ連崩壊後、独立した。その後、1994年からルカシェンコ大統領が政権を握り反対する人々を弾圧し続けている。

 ベラルーシ出身の作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ。『戦争は女の顔をしていない』『チェルノブイリの祈り』『セカンド・ハンドの時代』など、ソ連のために生きた市井の「小さき人々」の苦悩と悲しみの言葉を集めてきた。2015年、ノーベル文学賞を受賞。
 
 この本ではNHKディレクター・鎌倉英也、作家・徐京植、ロシア文学研究者・沼野恭子の3人が、アレクシエーヴィッチと対話しながら一連の作品をたどる。

 アレクシエーヴィッチは1948年にベラルーシ人の父とウクライナ人の母の間に生まれソ連人として育った。ロシア文学、特にドストエフスキーの影響を深く受けている。彼女は1984年に『戦争は女の顔をしていない』で第二次世界大戦に兵士や看護師として従軍した女性たちの生の声を本にした。この本ははじめ、戦争の英雄を書いていない、との理由で発禁にされた。その後『ボタン穴から見た戦争』で第二次世界大戦の中の子供を証言から描いた。さらに自分たちの政府が手を染めた戦争にも目を向ける。ソ連のアフガニスタン戦争を『亜鉛の少年たち アフガン帰還兵の証言』として兵士の声を集めて書き、自分たちの国が他の国に侵攻した罪をあらわにした。

 1986年のチェルノブイリ原発事故。風向きのためベラルーシは多量の放射線にさらされた。アレクシエーヴィッチは1997年に『チェルノブイリの祈り』を発表。ある女性は消防士の夫が原発事故の消火の際、重度に被爆し死んでいくのを看病した。ある人々は危険地域内の我が家から離れがたく戻ってきた。戦火もないのに見えない死が訪れる未知の戦争だ。

 1991年、ソ連崩壊。自由の時代が来るかと思いきや、来たのは金の時代だった。人々はモノに翻弄され社会は荒れはてた。ソ連時代の理想が壊されて絶望する人も少なくなかった。超大国ソ連の時代を懐かしみ力強い指導者に頼る声が大きくなった。アレクシエーヴィッチが2013年に世に出した『セカンド・ハンドの時代』は人々の過去を懐かしむ言葉がつまっている。そしてソ連時代の独裁から変わらない政府。自由とは何かという問いを突きつける。

 アレクシエーヴィッチは2016年に福島を訪れた。チェルノブイリのときと同じ感想を抱いたという。自分たちの社会と同じく日本の社会には抵抗の文化がないと指摘した。人々はただ、善き皇帝、善き役人、善き首相が現れるのを待っている、と。

 現在、ベラルーシ政府の圧力を避けてドイツで暮らしている。この本は彼女が長年取り組んできた小さき人々の連作を一覧するために読んでも良いだろう。


掲載:『望星』2021年11月号(東海教育研究所)に加筆訂正。