本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

亜鉛の少年たち アフガン帰還兵の証言 増補版 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著 / 奈倉有里 訳

亜鉛の少年たち アフガン帰還兵の証言 増補版
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著
奈倉有里 訳
岩波書店 

 タイトルの『亜鉛の少年たち』の亜鉛とは、ソ連軍が戦死者を亜鉛製の棺に入れて家族の元に送ったことから。

 ソ連は1979年、アフガニスタンの社会主義政権を援助することを掲げ、現地に軍を派兵して反政府勢力と戦った。長引く戦闘はソ連の財政に大きな負担をかけ、1989年に撤退。この敗北はソ連政権の屋台骨を揺さぶる一因となった。

 ソ連の一員だったベラルーシ出身の作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ。第二次世界大戦を女性たちが語った『戦争は女の顔をしていない』など小さき人々の記憶と戦争を書いてきた。

 これは小さき人々が語るアフガニスタン戦争だ。アレクシエーヴィチにとって大人になってから起きた同時代の戦争。もう戦争のことは書きたくないと思いつつ、でも黙っていることなどできず取材を始めた。1988年、アフガニスタンのソ連軍基地に赴いた。兵士たちは敵を殺し味方を殺されるのが日常となっていた。若いアフガン人の女性が殺された子供の前で傷ついた獣のような声で泣いていた。

 著者はたくさんのアフガン帰還兵たちと兵士の母親たちを取材し話を聴いた。ある母親は嘆く。生きて帰ってきた息子が殺人を犯した。向こうで人が変わってしまった。人殺しを教えられ人を殺すことに抵抗がなくなってしまった。あの子をあそこに送り込んだ人間は裁かれないのに、と。

 別の母親は、いきなり亜鉛の棺を持ってこられ、息子さんは戦死しました、と言われた。棺は開かないようになっていて遺体を見ることもできなかった、と。

 帰還兵たちは怒り、苦しむ。手や足など体の一部を失ったり何らかの障害を負ったりした人、そうでない人も皆、昔の自分には戻れないと言う。

 アフガニスタン行きに志願しろと言われ、断る選択肢などなかった。上官たちに虐待され自殺した仲間もいた。ろくな食料や装備もなく、銃弾を売って現地の店で買った。撃ってから殺したのが女子どもだったと気づいた。父や祖父の戦争での勝利の体験を聞いて育った。社会主義の理想を現地の人に説いても受け入れられなかった。大勢の仲間が無惨に死んでいった。俺たちは英雄なのか、人殺しなのか。

 この本の底本はペレストロイカ後の1991年に発行された。だが取材を受けた何人かは嘘を書かれたと著者に対して訴訟を起こした。ソ連から独立したばかりのベラルーシで、彼らはソ連時代の権力に怯えたのだ。増補版ではこの訴訟について、裁判での証言や、さまざまな人が寄せた手紙などが付け加えてある。

 現在もベラルーシではソ連時代の権力が続いているため、著者アレクシエーヴィチは祖国で暮らすことができないでいる。ソ連解体後もロシアでは戦争が絶えることがない。今のウクライナとの戦争でも、膨大な数の戦死者が亜鉛の棺に入れられ送り出されているのだろうか。歴史は繰り返さないが、歴史を知らない人間たちが過ちを犯す。

(掲載:「望星」2022年9月号、東海教育研究所)