本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『カカ・ムラド ナカムラのおじさん』ガラフラ 原作 / さだまさし、他 訳・文


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カカ・ムラド ナカムラのおじさん

ガラフラ 原作
さだまさし、他 訳・文
双葉社

 2019年12月、アフガニスタンで長年に渡って住民に尽くし敬愛されてきた医師・中村哲氏が、現地東部の都市ジャララバードでスタッフとともに何者かに殺害された。アフガニスタン政府から名誉市民権を贈られたばかりだった。
 現地の人々は深い悲しみに沈んだ。中村氏の肖像に「あなたはアフガン人として生きアフガン人として死んだ」「中村さんごめんなさい」など言葉をそえて追悼した。

 中村氏は住民から親しみをこめてカカ・ムラドと呼ばれていた。アフガニスタンで子供の絵本を発行・配布している現地NGOガラフラは、中村氏について子供たちに知ってもらおうとカカ・ムラドの絵本「カカ・ムラド ナカムラのおじさん」と「カカ・ムラドと魔法の小箱」を作った。

「カカ・ムラド ナカムラのおじさん」は日本で例えると小学校高学年以上の子供向けに中村氏の功績を伝える物語。緑の木々の中を流れる美しい用水路を見ながら、この豊かさを贈ってくれたカカ・ムラドのことを父が娘に語る。

 中村氏がアフガニスタンと国境を接するパキスタン北西部の都市ペシャワールの病院に赴任したのは一1984年だった。日本ではNGOぺシャワール会が活動を援助した。中村氏はハンセン病などさまざまな病気に苦しむ人々に直面した。当時、ソ連アフガニスタンに侵攻し多くの難民がパキスタンに逃れていた。

 1991年、アフガニスタンの山岳部に診療所第1号を開設した。アフガニスタンではソ連軍が撤退し、国内勢力同士の内戦になっていたが、イスラム原理主義勢力タリバンが首都カブールを陥落させた。

 2000年、アフガニスタンを大干ばつが襲った。人口の半分以上が水不足に苦しみ約100万人が餓死の危機にあった。中村氏たちは「医療よりも水」と井戸を掘り始めたが簡単ではなかった。さらに翌年のアメリ同時多発テロに対するアフガニスタン報復爆撃に阻まれた。

 2003年、中村氏らPMS(平和医療団・日本)は現地の人々と合議し、用水路の建設に乗り出した。大河の水を村々に引く。春の雪解け水は恵みだが、ときに洪水となる。それに耐えられる、なおかつ現地の材料で容易に復旧できる工法を探し、中村氏は故郷、福岡県に遺された江戸時代の堰を研究した。苦闘の末、マルワリード用水路など、いくつもの用水路が作られた。用水路に沿って柳の木が植えられ砂漠は緑の大地となり豊かな農作物に恵まれた。「カカ・ムラド」の物語の緑と水の豊かな風景はこうして作られた。

 もう一つの絵本「カカ・ムラドと魔法の小箱」はもう少し小さな子供向けの物語。お父さんとお母さんに世界一の宝物をあげたい幼い男の子に、東の果ての国から来た魔法使いで男の子の大切な友だちカカ・ムラドがさまざまな助言をする。

 中村氏が死んでも、アフガニスタンで意志は用水路として生き、存在は知恵ある魔法使いとして語られる。それは失われることはない。

掲載:『望星』2021年10月号(東海教育研究所)