本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『蛾のおっさんと知る衝撃の学校図書館格差』山本みづほ 著

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蛾のおっさんと知る衝撃の学校図書館格差 
  公教育の実状をのぞいてみませんか?』
山本 みづほ 著
郵研社

 大昔のまま、いつも扉に鍵がかかっている学校図書館がある。一方で非常に少ないが、毎日、担当の教職員がおり、授業を行う学校図書館もある。このような学校図書館の格差は、各学校や自治体が学校教育に図書館を活用しようと考えるか否かによって生じている。学校図書館を運営する職には、正規教員がなる司書教諭と図書館専任の学校司書がある。多くの学校や自治体は学校図書館活用に消極的なため、この二職とも不遇に扱われていることが多いのが現状だ。

 この本の著者、山本みづほさんは長崎県佐世保市を中心に公立小中学校の国語科教員をしていた。本が好きで教員免許といっしょに司書教諭資格を取得し学校図書館の運営に働いてきた。だが担任を持ち、教科の授業をし、部活動の顧問を二つ掛け持ちしながらはきつい。

 今日も学校図書館できりきり舞いに働いていた山本さんは、ヘンな笑い声を聞いた。カウンターには、茶色い羽根をつけた全身白タイツに校長先生のようなおっさん顔をした蛾がいた。この本の表紙のイラストのような。

 「蛾のおっさんなのだ」。

 まあ山本さんは疲労困憊していたし、有象無象の本のある図書館に、あまりかわいくはないが妖精さんが現れても不思議ではない。

 聞けば蛾のおっさんは、いろいろな学校の図書館を見てまわっていると。そして学校図書館の格差を嘆く。

 「子どもたちが通う学校によって不利益を被るのは腑に落ちぬのじゃ」。

 二人は日本の学校図書館について、しみじみ語り合う。

 1953年に制定された学校図書館法で「学校図書館の専門的職務を掌らせるため司書教諭を置かなければならない」となった。だが専任・専門の職ではなく「教諭を持って充てる」としたため司書教諭は正規教員の充て職になってしまった。さらに「当分の間置かないことができる」となった。この当分の間は、なんと2003年まで続いた。現在、司書教諭はほとんどの学校に置かれている。しかし司書教諭でも担任・教科・部活など教員の仕事は減免されるわけではないため、学校図書館まで手がまわらない。学校図書館の運営は図書委員頼りのところも多かった。

 この状況を変えるために、2016年の学校図書館法附則で、学校図書館には学校司書を置くよう務めなければならない、となった。だが、あくまで努力義務のため、学校司書はまだまだ置かれていない学校もあり、また置いても週に数日短時間に限っている学校が多い。毎日、児童生徒のいる時間に学校図書館を開館し司書教諭との協同で授業を行うのが、学校図書館の理想なのだが。

 山本さんと蛾のおっさんは夢見る。学校司書が正規専任の専門職となり、学校図書館で毎日、司書教諭と楽しい学校図書館を作るのを。子どもたちのための学校図書館を考えて、今日も蛾のおっさんは笑いながら飛んでいるのだ。

掲載:『望星』2020年3月号(東海教育研究所)に加筆、訂正。  



『書店と民主主義 言論のアリーナのために』福嶋 聡 著

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書店と民主主義 言論のアリーナのために
福嶋 聡 著
人文書院

 2015年、ジュンク堂書店渋谷店はブックフェア「自由と民主主義のための必読書50」を開催した。だが選んだ50冊のなかにSEALsの本がある、従業員の私的なツイートの内容が疑わしい、などのことから、フェアが思想的に偏っている、との批判が相次いだ。店側はフェアを一時中断し選書をやりなおした。今、本や新聞、テレビ、音楽までも表現の中立が是とされている。では中立とは、偏りとはなんなのか。だれが見ても偏っていない主張というのは存在するのか。

 この本の著者、福嶋聡氏は同じジュンク堂の難波店店長。2014年12月、難波店で「店長の本気の一押し! STOPS!! ヘイトスピーチヘイト本」と題して嫌韓嫌中本などのヘイト本と『NOヘイト! 出版の製造者責任を考える』(加藤直樹/明戸隆浩ほか著、ころから)をならべてフェアを催した。このフェアは賛否両論の大きな反響を呼んだ。

 ヴォルテールが言ったとされている言葉「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」。福嶋氏は自分の志向に反する本を書店から排除しない。人は共感できない本に対し論理的に反論しようとするなら読んだうえで思考し反論する。共感できない本を排除するなら議論は起こらない。さまざまな本が議論を呼び起こし、議論が咲き競い、それが実り豊かな結果を産み出す。書店はそんな言論のアリーナ(闘技場)でありたいと願っている。

 民主主義のもとにこそ存在できる言論のアリーナたる書店で、書店員は批判に対して自分の意見をあきらかにすべきと福嶋氏は言う。偏っているから意見であり中立な立場などもともとないのだ、と。

 だれから見ても偏りのない本などない。書店はさまざまな意見や思考に出会える場所であってほしい。

掲載:『望星』2016年5月号(東海教育研究所)に加筆訂正。




  

 

『本屋がアジアをつなぐ 自由を支える者たち』石橋毅史 著

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本屋がアジアをつなぐ 自由を支える者たち
石橋毅史 著
ころから

  「真理がわれらを自由にする」。この言葉が国立国会図書館のホールに刻まれている。戦後、民主主義のための図書館をつくるために掲げられた理念だ。

 「本屋」たちもその理念を抱いている。この本の著者、出版ジャーナリスト石橋毅史さんは、書店員のみならず本を読み手に届けるのを生業にしている人全てを尊敬を込めて本屋とよぶ。石橋さんは日本から台湾、韓国、香港と本屋たちを訪ね、ともに話した。

 百年あまり前、内山完造が上海に渡ってひらいた内山書店。魯迅をはじめ日中双方の政府から追われる文人を守った。敗戦後に閉店。神田神保町の内山書店が受け継いでいる。

 韓国の軍政下時代、1980年5月18日に起きた「光州事件」。民主化運動の拠点だった全羅南道光州市では、デモ鎮圧の軍に学生と市民が抗して大量の死傷者が出た。その頃、光州にあったノクドゥ書店の店主キム・サンユンは民主化を目指す学生のために入手困難な禁書を売り、学生たちはそこで読書会を開いていた。事件の前日にキム・サンユンは逮捕され、ノクドゥ書店は閉店を余儀なくされた。韓国民主化を経て、今では書店は自由に開かれている。

 今年、香港では香港政府の逃亡犯条例改定に対して市民の反対運動が広がった。その前の2015年、中国共産党の批判本などを発行、販売していた銅羅湾書店の関係者5人が行方不明となった。翌年、そのうちのひとり、林榮基の記者会見によって、中国当局による拉致事件とわかった。林榮基は現在、台湾で新しい書店をつくろうとしている。自分はただの町なかの本屋だ、けれども中国の人に自由になってほしいと思っている本屋だ、と言う。

 本屋は人を自由にする仕事だ。もし、その国や地域が自由を失えば潰されてしまう。本屋は本を介して、人々の自由を支えている。


掲載:『望星』2019年11月号(東海教育研究所)に加筆訂正。


 

 

『さよなら未来 エディターズ・クロニクル2010ー2017』若林 恵 著

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さよなら未来 エディターズ・クロニクル2010ー2017
若林 恵 著
岩波書店


 21世紀になって、20世紀に構想されていた技術はある程度実現した。今は20世紀に考えられていた未来の域をまだ出ていない。そろそろ未来という言葉が陳腐に聞こえてきた。

 雑誌「WIRED」は1993年アメリカで発刊された。社会や文化をテクノロジーの視点から見せ「ありうべき未来像」を探ることを目的にしている。「WIRED」日本版の編集長として、この本の著者、若林恵氏は2012年から活躍してきた。しかし2017年末、「WIRED」日本版のプリント版終了とともに辞めてしまった。

 この本には若林氏が2010年から2017年までに書いた短い文章を集めてある。若林氏は、20世紀から考えられてきた未来にひとくぎりついた、と言う。巨大資本が科学とテクノロジーでもって構築した「イノベーション(経済発展を促す技術革新と組織改革)」に、人間を資材といっしょくたに人材としてつぎ込み、社会も人も置き去りに、だれが望んだのかわからない未来を創ってしまう時代。人間を超えるAIの登場におびえる時代。そんな時代を生きるための未来の予測地図が求められている。

 今までの未来に若林氏はうんざりしてしまったようだ。企業や行政の言う未来は「自分たちの見たい未来」のことじゃないか。若林氏にとって「イノベーション」とは「道なき道を切り拓くこと」。貧しい人々のために泥水を濾過して飲むことができるストローを作ることだって「イノベーション」だ。未来の予測はいらない。いつも未来に驚かされていたい。だれも知らない未来に自分の知識と知恵をコンパスに希望をもって進もう。

 現在の延長の未来には希望があるとは思えない。新しい道を切り開かなければ希望はないのだ。

『望星』2018年7月号(東海教育研究所)掲載に加筆、訂正

 

 

 

『タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源』ピーター・ゴドフリー=スミス 著、夏目 大 訳

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タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源
ピーター・ゴドフリー=スミス 著
夏目 大 訳
みすず書房 3,240円

 タコには心臓が3つ。血は青緑色。自在に体色を変えて周囲に溶け込む。賢い生き物らしい。水槽のから脱走した、という話がよくある。骨がないので目玉より少し大きいスペースがあればすり抜けることができるのだ。ある水族館にいたタコはライトに水鉄砲を浴びせてショートさせた。明るいものを嫌う習性ゆえの行動か。人が入れ替わり立ち替わりする研究室の水槽にいるタコが特定の人間に向けて水鉄砲を食らわすこともあったとのこと。人間の区別ができるようだ。好奇心も旺盛らしい。海に潜ったダイバーに腕を1本をさしのべ、その手を握って、いっしょにしばしの海中散歩をしたこともあったそうだ。だが寿命は約2年。1回の交配後、死んでしまう。子は親から学習できない。その賢さには、人間のように学習して得たものは少ないのかもしれない。
 
 ではタコに知性や意識、心はあるか。タコは頭足類、無脊椎動物。約6億年前に人類や魚を含む脊椎動物と分かれて海に残った。人類には交流のない遠い親戚にあたる。なのにタコの体で脳の占める割合は大きい。身体のニューロン神経細胞)の数は約5億個。犬に近い。人間のニューロンは約1000億個。しかし人間とタコの神経は違う働きかたをしているらしい。人間の神経は脳が体を支配下に置く中央集権型と考えられている。一方、タコのニューロンの多くは腕にある。タコの神経は脳が体を支配する中央集権型と8本の腕が感知し体を動かす分散型が両方あり、状況によって使い分けているのではないか、という説がある。こうなると人類にとってタコはエイリアンだ。
 
 タコの心を考えるのは未知との遭遇である。その前に、まず人間の知性や意識、心はどこから生まれるのかを考えなくてはならない。生物哲学者で熟練のスキューバダイバーである著者はタコと人間のあいだを行き来して思考する。
 
 同じ星に住む異世界生物、タコ。人間とは全く別の知性の存在にわくわくする。


掲載:『望星』2019年2月号(東海教育研究所)に加筆訂正。

 

 

『本を贈る』 若松 英輔/島田 潤一郎/牟田 都子/矢萩 多聞/橋本 亮二/笠井 瑠美子/川人 寧幸/藤原 隆充/三田 修平/久禮 亮太 著、三輪舎

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『本を贈る』
若松 英輔/島田 潤一郎/牟田 都子/矢萩 多聞/橋本 亮二/笠井 瑠美子
/川人 寧幸/藤原 隆充/三田 修平/久禮 亮太 著

三輪舎


 始めに言葉ありき。本は作者の言葉を載せるためにある。画集や写真集なら作品を載せるために。そのために最高の形に作られ、読者のもとへ送られる。

 本を作り、送る。編集者は作者の言葉を編集して本に組み立てる構想を練る。装丁家は言葉を表現するに最高の本のデザインを作る。校正者は言葉を読者に伝わりやすいように直す。印刷会社では美しく印刷して言葉を紙に載せる。製本会社で言葉を印刷された紙は本の形になる。取次は本の問屋。できあがった本を書店に送る。出版社からは営業が、その本を書店にアピールし売ってもらえるよう託す。書店では、どのようにしたら本を客が手に取るか考える。そして本は読者の手に届く。この本『本を贈る』では、本作りと本送りの現場の人々9人が、自分の仕事と本を贈ることを語る。

 印刷会社の4代目、藤原隆充氏は、本作りは駅伝、と言う。言葉を載せる本のために、それぞれの現場が最高の仕事をして、次の現場に送りだす。どこか一部に欠陥や間違えがあると価値が損なわれる。それは前の走者で区間賞を出しても、後ろの走者が遅ければ勝負に勝てない駅伝と似ている、と。

 本を贈るために、これまでの本の業界にはなかった仕事をしている人もいる。島田潤一郎氏は息子を亡くした叔父と叔母のためにひとりで出版社を作った。ひとりの読者が何度も読みかえしてくれるような本をつくり続けたい、とひとり出版社を経営している。三田修平氏は書店員を経て移動式本屋を始めた。移動図書館車のような車を走らせ本を売る。本屋が少ないところの本に飢えた人々へ、ふだんあまり本屋に行かない人々へ、本と出会ってもらうために。

 そうして届いた本を人が読む。言葉が読者のものになる。終わりにも言葉ありき、なのだ。

掲載:『望星』2019年1月号(東海教育研究所)に加筆訂正。    

『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』内村 洋子 著、方丈社

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モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語
内村 洋子 著
方丈社

イタリアで暮らすジャーナリストでエッセイストの内村洋子さん。ある日、水の都ヴェネツィアで貫禄を漂わせた古書店に目をとめた。扱うのはすべてヴェネツィア関連の本。歴史、文芸、経済、宗教などなど。やがて、その書店は内村さんにとってヴェネツィアの知恵袋となった。聞けば店主の家系はヴェネツィアではなくトスカーナ州のモンテレッジォ出身だとのこと。そこの人々の多くは本の行商で生計を立てていたという。

 本にひかれるように内村さんは見知らぬ地モンテレッジォへ飛んだ。モンテレッジォは海を眼下に望む山岳地帯の小さな村。古くは交通の要衝だった。ローマ時代以降、イタリアはひとつの国ではなく教皇領ほかたくさんの国と都市があった。モンテレッジォは地味が乏しく、村人はよその農地への出稼ぎで暮らしていた。だが1816年、寒冷化で農作物が全滅。たくましい村人は地元産の砥石の行商で糊口をしのいだ。ともに売り歩いたのはキリスト教のお守り札だった。

 ナポレオンの時代の後、イタリアでは国家統一の気運が高まった。知識を求める人々が増えた。モンテレッジォの行商人たちは本を売るようになった。安価な本を遠くの町まで運び、露店で売る。出版社は本の売れ筋を行商人から聞いた。モンテレッジォの本の本の流通と情報を担っていた。イタリア統一やファシズムの時代には禁書を外国から運んだ。

 本の行商人には、転じて都市で書店を構える者も大勢いた。1953年、モンテレッジォ周辺の山岳地帯で本が生まれて育ったのを記念して、書店が優れた本に贈る賞「露店商賞」が誕生した。以来、現在まで毎年続いている。

 山村の旅する本屋が運んだ物語、情報、文化。その歴史を内村さんの旅が追う。旅物語として読んでも楽しい。

(掲載:月刊『望星』2018年8月号、東海教育研究所 に加筆、訂正