本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『醜い日本の私』中島義道著

41gpp55wr3l_aa240__1醜い日本の私 (新潮選書)
中島義道
新潮社
1,050円

 

 

 中島義道。通称「戦う哲学者」。哲学の探究のため、言葉を武器に俗世間と戦い続けている。
 この本は以前の著作『うるさい日本の私』の続編である。オビにはでかでかと「『美しい国』が好きなひとには、読んでいただかなくても結構です」。
 著者には日本の「醜さ」がとても苦痛なのだ。まず商店街。極彩色の看板や幟が立ち並び、セルロイドの造花が翻る。さらに拡声器から大音量で「いらっしゃい! いらっしゃい!」。ヨーロッパのすっきりとした商店街に比べ、なんと醜いことか。さらに「街をきれいに」「スリに気をつけましょう」などの、ああせいこうせいという標語が看板に書かれ、拡声器から流れる。駅も同様に「黄色い線まで下がってください」「忘れ物にお気をつけください」と轟音が鳴り響く。街は電柱だらけ。空を見上げれば無数の電線が横切っている。醜いことこの上ない。日本人は美的感覚に優れているのに、なぜこんなになるのか。
 さらに店での馬鹿ていねいな接客ぶり。
「お客さまは神さまです」と言わんばかり。客は暴君のように無礼にふるまう。なぜこんな非人間的なことになるのか。
 そして、日本人は言葉に真実がない。表面を取り繕う儀礼的な言葉しかない。言葉をそのまま信じる者は「おとな」ではないと嘲笑される。
 著者には、こうした日本の醜さが耐え難い。しかし、大多数の人にはごく当たり前のことなのだ。故に著者のような少数派は「わがまま」「おとなじゃない」と言われる。日本の社会は大多数が少数派を抑圧し無視する社会なのだ、と著者は訴える。
 大多数の人から見れば著者のような感覚の少数派は「お気の毒さま」というようなものだろう。だからこそ著者の戦いはまだまだ続くのだ。
(掲載:『望星』2007年5月号、東海教育研究所)