松田和也訳
青土社、2,940円
ある西洋写本がある。わけのわからないものが描かれている。浴槽のようなものに浸かった女性たち、黄道十二宮図らしきもの、植物。だがその植物はよく見るとこの世には存在しないものだ。さらに判読不能な文字で文章が書いてある。
これがヴォイニッチ写本だ。一九一二年、ポーランド人古書商ウィルフリド・ヴォイニッチにより発見。現在はアメリカのイェール大学に保存されている。十三世紀イギリスの哲学者ロジャー・ベーコンの作であると称された。
それからたくさんの言語学者、暗号専門家などが、この写本の解読に挑んできた。ペンシルヴァニア大学教授の哲学者ニューボールドもその一人だ。彼はヴォイニッチ写本の文字を拡大鏡で見、小さな文字のかたまりであるとし、解読にこつこつととりくんだ。そして望遠鏡の発明、銅の精錬法、火薬の発明などもベーコンの業績である、と読んだ。
しかし、ニューボールドの血と汗の結晶であるこの研究はもろくも崩れる。彼が発見したと思っていた文字のなかの小さな文字は、きめの粗い羊皮紙に生じたたインクのひび割れにすぎない、と他の学者から突かれたのだ。
それから多くの学者がヴォイニッチ写本の解読に挑んだが成功していない。
そもそもヴォイニッチ写本がロジャー・ベーコンの作かどうかも疑問視されている。贋作だと。第一の容疑者は十六世紀の錬金術師エドワード・ケリー。だがこの本では写本の発見者ヴォイニッチも疑われている。古書商として辣腕をふるい、詐欺まがいの手口で古書を手に入れていた彼もまた怪しい。
現在もヴォイニッチェロと呼ばれる研究家たちが、この怪しい本に魅せられ、解読にとりくんでいる。なぜ、とも思うが、読めない本に価値を見いだすのも、また人なのだ。
(掲載:『望星』2006年7月号、東海教育研究所)