本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『ヨーロッパ 本と書店の物語』小田光雄著

415vcpycfel_aa240_

ヨーロッパ 本と書店の物語 (平凡社新書)

小田光雄

平凡社

798円

 活版印刷の聖書がドイツ人グーテンベルクによって作られたのが1455年。本はしだいにヨーロッパの民衆に読まれるようになった。スペインの田舎紳士ドン・キホーテが、行商人が売る騎士道物語の本にのめり込んだのが1605年。フランスのボヴァリー夫人貸本屋の恋愛小説を読みふけったのが1857年。本の市場の拡大に伴い、本に取りつかれた人々が増えていった。

 著者、小田光雄は出版社経営に携わっている。一方で『出版社と書店はいかにして消えていくか』などの著作で、これまでの出版社と書店、それらを仲立ちする取次からなる日本の出版流通を検証ししてきた。この本ではヨーロッパの出版流通機構の成立と拡大を描く。

 1774年、ゲーテが25歳で『若きヴェルテルの悩み』を発表。ヨーロッパ中に一大センセーションを巻き起こした。彼は一躍時代のスターとなった。文学者が名士となる先駆けだった。大勢の若者が成功を夢見て、文学者となるべく自分の作品を抱えて、発行し販売してくれる出版社や書店を探して走り回った。

 19世紀のバルザックも、そんな一人だった。しかし、書き手にとっては我が身を文学の神に捧げて書いた珠玉の作品でも、出版社や書店にとってはあくまで投機の対象となる商品に過ぎない。彼らが欲しいのは大衆のうける商品なのだ。バルザックは数々の出版社や書店に翻弄され、3回破産した。この経験を彼は小説『幻滅』に描いた。主人公は最後に悟る。「金なのだ!」と。

 20世紀、ようやく作品と商品を両立させ、時代の精神と共にある出版社や書店が現れる。パリの女性モニエは1915年、本の友書店を開店した。彼女の目指したのは、新しい時代の精神に目を向けた、書店と貸本屋を兼ねた店だった。店は作家や未来の書き手を惹きつけ、フランス文学を担うサロンとなった。ジッドやボーヴォワールも常連だった。

 近くにはアメリカ人女性ビーチのシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店があり、ヘミングウェイフィッツジェラルドが入りびたった。ビーチはジョイスの『ユリシーズ』刊行にほとんど無償で尽力した。モニエもビーチも経済的には恵まれなかったが、多くの作家を育てた。

 そして今、本の大量生産、大量消費の時代、出版と文学の危機が叫ばれている。作者と読者は切り離され、売れるか売れないかだけを原則とする流通と販売市場に支配されている。

 日本でもそれは同じだ。売れる本ばかりが流通し、そのほかのたくさんの本は読者に出会うことができない。本の書き手と読者をつなぎ、未来の書き手を育てる、そんな出版社や書店が増えてほしい。

(掲載:『望星』2004年11月号、東海教育研究所)