本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『サンパウロへのサウダージ』クロード・レヴィ=ストロース、今福龍太著、今福龍太訳

51wyv3bsbl_sl500_aa240_

サンパウロへのサウダージ

クロード・レヴィ=ストロース、今福龍太著

今福龍太訳

みすず書房

4,200円

 2008年11月で100歳になった学者クロード・レヴィ=ストロース。1960年代、フランスにて構造主義をかかげて新たな民族学をうちたてた。構造主義現代思想の大きな波となってさまざまな学問を席巻した。学術界の伝説の人。

 現在ブラジル最大にして南半球最大の都市サンパウロレヴィ=ストロースは1935年、27歳のとき前年できたばかりのサンパウロ大学へ教授としてフランスから赴いた。このときともにフランスからサンパウロ大学に赴任した一人に歴史家フェルナン・ブローデルがいた。当時サンパウロは建設ラッシュに沸く新興都市だった。そこに彼は家族とともに居をかまえ、講義と原住民調査を行った。レヴィ=ストロースのブラジルでの調査旅行については、著書『悲しき熱帯』『ブラジルへの郷愁』にくわしい。構造主義はこのころ育まれたのだろう。

 1939年にフランスに帰国するも第二次世界大戦が始まった。フランスはドイツに敗戦。ユダヤ人であるレヴィ=ストロースはニューヨークに逃れた。1950年に博士論文『親族の基本構造』を携えてフランスに帰国。論文は審査を通過、発刊された。自身も神話学者ジョルジュ・デュメジルの紹介で職を得、精力的に研究を進めていく。だがフランスにおける学問・教育の頂点に位置する国立の高等教育機関コレージュ・ド・フランスの1951年の教授選に学閥争いで敗れ、落選。『悲しき熱帯』は1955年この不遇の時期に書かれた。フランスでの出世街道から離れ遠国に流れたブラジル時代の自分と南米奥地で滅びゆく文化のなかで暮らす原住民が、「悲しみ」で当時の逆境へとつながっている。『悲しき熱帯』はセンセーションを巻き起こした。そして3度めの教授選で、ようやく1959年に教授となった。

 レヴィ=ストロースはそれからブラジルへは1985年につかのま訪れただけだ。この本『サンパウロへのサウダージ』は失われた昔のサンパウロの思い出を込めて1996年に発刊された。「サウダージ」とは日本語の「あわれ」に意味の近いポルトガル語だという。もう見ることのない、はかなく過ぎ去ったものへの想いだ。レヴィ=ストロースが暮らしていた当時、サンパウロはぶらぶら歩くのに良いところだったという。レヴィ=ストロースは写真マニアだった父親と争うように写真を撮った。この本には、レヴィ=ストロースが歩きながら撮った写真が収められている。ちょうど手に収まるようなフイルムカメラが出回るようになったころだ。サンパウロは急成長中の街だったが、彼には、新築の輝いていた時代を過ぎすでに古びはじめたうら寂しさが目についた。

 ブラジル滞在のあとレヴィ=ストロースは研究に写真を使っていない。彼は、学者が、獲物を捕るように原住民の写真を撮るのを嫌ったのだ。

 その65年後、日本の文化人類学者、今福龍太がサンパウロ大学で教鞭をとるために訪れた、彼はサンパウロでのレヴィ=ストロースの足跡をたどり、同じ風景を写真に撮った。昔の風景がわずかに残っている。彼は同じ文化人類学者としてレヴィ=ストロースの思考に思いをはせた。

 今福龍太はある本を紹介している。レヴィ=ストロースの調査旅行に同行したブラジル人民族学者が後に書いた本だ。それによると、レヴィ=ストロースはフィールドワーカーとしてはあまりに不器用だったという。フィールドでいつも思考を遊ばせ、フィールドワークに必要な実用的な技能や機転にはまったく欠けていたらしい。そのことから今福は、レヴィ=ストロースの研究方法と理論形成をかたちづくったものを見つける。

 「西欧人エリートという社会的立場、民族学者の視線、文明人の依拠する透明な理性……。ひとつの視点からすればすべて限界づけられたものでしかないこうした条件のなかで、ブラジルの現実との間の距離を測り、それを調停する手段として、レヴィ=ストロースは写真を選び取った。だがこの不器用な視線は、その動きの限界は、別の視点から見ればその限界こそが可能性なのでもあった。この、力の探求の英雄的な試みが不器用さによって破綻していく実践こそが、ひとつの固有な輝きを持った「民族学」の行使だった。現実の行動の不器用さは、彼をして神話の観念的思考が実現する器用仕事の探求へと向かわせ、全アメリカの無限の神話群のあいだにはたらく緻密な構造体系がブラジル以後の彼のフィールドとなった彼の頭脳を起点に、内界と外界は反転した。人間とはそもそもはじめから不器用な敗者として宿命づけられた存在なのではないだろうか。人間の世俗的現実における不器用さが、神話的思考の器用さによって埋め合わされる……。この二者の統合こそが「人間」である。レヴィ=ストロースはそのように語りつづけているように、私には思われる。」

 この本の写真は、たぐいまれな眼がのちの世界都市の一時をとらえた貴重なものだ。偉大な頭脳のますますの長寿を言祝いで。

(掲載:『望星』2009年2月号、東海教育研究所に加筆、訂正)