本のいぬ

本のあいだをふらふら歩く、 のらいぬ澤 一澄 (さわ いずみ)の書評ブログ

『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』サーシャ・スタニシチ 著、浅井 晶子 訳

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兵士はどうやってグラモフォンを修理するか
サーシャ・スタニシチ 著
浅井 晶子 訳
白水社
2,835円

 1991年から2000年まで続いたのユーゴスラヴィア紛争。そのなかのボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争。著者、サーシャ・スタニシチは当時ボスニア・ヘルツェゴヴィナの町ヴィシェグラードに住んでいた。1992年「ヴィシェグラードの虐殺」と呼ばれる民族浄化がおきた年に、家族とともにドイツへ避難した。14歳のときだった。この本は著者の母語ではないドイツ語で書かれた。著者自身の体験のような物語が夢を語っているような言葉で綴られている。

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナの町ヴィシェグラードで育った少年アレクサンダル。大家族に囲まれ幸せだった。物語ることを教えてくれた祖父の思い出はアレクサンダルの人生に強く刻まれた。夢見るアレクサンダルにはメリー・ポピンズジョン・ウェインも「同志」だ。ヴィシェグラードではセルビア人、クロアチア人、イスラム教徒が近所づきあいをしていた。アレクサンダルも多民族の血が混ざってた。

 だがユーゴスラヴィア連邦が崩壊を始め、ボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立を宣言すると、ヴィシェグラードにはセルビア人勢力が侵攻してきた。戦場となった町。近所のイスラム教徒のおじさんおばさんや仲良しの少女アシーヤにも命の危機が迫った。アレクサンダルの一家はドイツに脱出した。

 ドイツに逃れてからアレクサンダルはアシーヤを探し続けていた。大人になった彼はヴィシェグラードを訪ねた。そこで再会したのは、虐殺の地獄を見た少年時代の親友、セルビア側の兵士となった叔父、変わってしまった故郷の人々と町。

 幸せな記憶もつらい記憶も少年時代の夢のように語られている。だがアレクサンダルや著者スタニシチにとって逃げ出した故郷の思い出は一生ついてまわる。大人の戦争は子どもに重い十字架を背負わせた。

(掲載:『望星』2011年7月号、東海教育研究所)