ウィリアム・J・ミッチェル著
渡辺俊訳
NTT出版、3,780円
「サイボーグ」だのいう言葉を見てSF小説だと思う方もいるかもしれないが、そうではない。
マサチューセッツ工科大学教授の著者ミッチェルが言うところによると「サイボーグ化する私」とはこういうことになる。人間はもはや生まれたままの姿では生きていけない。寒さをしのぐため服を着る。時間を見るために腕時計をする。目の悪い人は眼鏡をかけたりコンタクトレンズをつけたりする。テレビでニュースを見る。パソコンを使う。そして携帯電話を持ち歩く。体の一部のように使いこなしている。話し、メールを交わし、インターネットを覗く。人間はもはや自分以外の物体と一体となり、それなしではいられないのだ。これが「サイボーグ化」である。
人は電気、ガス、上下水道、電話回線などのネットワークを必要とするようになった。さらにインターネットに接続して、各国のさまざまな情報をその場を動くことなく見えない手を伸ばしてつかむ。著者いわく「私はネットワークの一部であり、ネットワークは私の一部である。我繋がる、故に我あり。」
近年、ケーブルなし、すなわち無線でインターネットに接続するのが一般的になっている。いつでもどこでもインターネットほかの情報ネットワークに接続できる環境「ユビキタス」が可能なのだ。
著者が描く未来はすぐそこに来ている。だがユートピアとは限らない。インターネットを通して遠い国の人とかんたんに交流できるということは、インターネットを通してウィルスなどの攻撃をかんたんに受けやすくなるということだ。
文明の行きつく未来はスローライフとはかけ離れているように見える。この未来に一個人の選択の余地はあるのだろうか。
(掲載:『望星』2006年6月号、東海教育研究所)